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洋裁技術検定とは?

自分で洋服のデザインから縫製までを行っている方の、衣服製作の技術スキルがあることを証明する資格が「洋裁技術検定」です。

「洋裁技術検定(ようさいぎじゅつけんてい)」は、日本ファッション教育振興協会が実施する、洋裁に関する衣服製作の技術スキルやそれに関連するスキルを評価する検定試験です。

現在ファッション・アパレル関連でも細分化が進み、各々の業務を専門に行う人材の育成を推進しています。今回紹介する「洋裁技術検定」においては、前述したとおり洋裁の技術者としての知識や技術があることを「社会に」証明する試験制度となります。

学んだ知識や技術は「初級」「中級」「上級」といったレベルで区分しています。また、受験する階級に関しては制限が無く、どの階級からでも受験することが可能。

選んだ階級の「理論」「実技」試験を受け、合格する事で資格を獲得することができます。以下は各階級の試験内容の一覧です。

・初級

理論……洋裁の基本的な用語、用具の基本的な技術、服装常識、日常着に関する一般的な素材知識、基礎製図、実技に必要な知識。

実技……婦人・子供服の平常着の製作

・中級

理論……洋裁の基本的な用語、用具、流行、服装の社会性や服飾のマナー、素材、服装と色彩、スタイル画、実技の専門知識。

実技……一般的なデザインの作品の製作

・上級

理論……中級理論試験の専門的な知識、服装史、流行と社会生活、実技の専門知識。

実技……一般的なデザイン作品の製作

合格率は初級が80%程度、中級・上級にかけては20%前後と言われています。

合格すれば、アパレルメーカーや洋服店、縫製を専門に行うソーイングスタッフ、デザイン画を元に型紙を引いたりするパタンナー、ブランドのファッションデザイナーやデザイン事務所、自身のブランドの立上げなども行えるようになるでしょう。

ただし、受験資格は日本ファッション教育振興協会が認定した学校の生徒のみとなり、一般での参加は残念ながらできない模様です。

知っておきたいファッション用語「オートクチュール」

よくファッションブランドなどを見ると「オートクチュールブランド」といった言葉を目にしますが、一体この言葉は何を指すのでしょうか?

今回は「オートクチュール」に焦点を当ててご紹介したいと思います。

「オートクチュール(haute couture)」は見ての通りフランス語で、「オーダーメード」「一点もの」など高級洋服を指す言葉です。

しかも、オートクチュールという言葉は「パリクチュール組合(通称サンディカ)」の加盟店で注文され縫製された高級服やお店のことを指すので、それ以外のお店がオートクチュールを名乗っても正規の物ではありません。

加盟店以外がオートクチュールを名乗る場合、縫製の方法に仮縫いや手縫いといった技法などオートクチュールが出来るまでの手法を取り入れている事を指します。

では、パリクチュール組合についてみていきましょう。

「パリクチュール組合(The Chambre Syndicale De La Confection Et De La Couture Pour Dames Et Fillettes)通称:サンディカ)」は、1868年と2014年の今から146年前に創設された組織です。

乱立していたオートクチュール店に顧客が行き、ある程度決まったデザインから顧客が好きなデザインを選んだり顧客からのデザイン要望により服をつくっていた形態から、組織が出来たことによりお店がまとまり、デザイナーがデザインしたものを顧客の体に合わせて作り売る形態に変化。

デザイナーの地位向上したのはもちろん、服を買うというよりも芸術品を買うといった形に変化していったのです。また組合に入るための既定もあり、ミシンなどは使わず全てにおいて手縫いを実施するといったものがありますが、新規のメゾンなどを呼び込むため既定は年々ゆるくなっているようです。

しかし、1970年代にプレタポルテが出現したことがキッカケとなりオートクチュールの売上は激減。

通常顧客が減少し続ける部署はビジネスとして閉鎖するのが常ですが、オートクチュールはブランドの知名度の向上やライセンス事業での売上が見込めるため、閉鎖するブランドは少なく、現在も春夏・秋冬のコレクションに参加し発表を行っています。

現在オートクチュールを依頼する人の多くは王侯貴族やセレブなどがほとんどとなっています。

15歳で自身のレーベルを立ち上げた「アイザックミズラヒ」

「アイザックミズラヒ(Isaac Mizrahi)」は、アメリカに拠点を置くファッションブランドです。

アイザック・ミズラヒは1961年にアメリカ・ニューヨークの裕福なユダヤ人の家系に生まれ、10歳のときに彼の父親にミシンをプレゼントされた事をキッカケにファッションキャリアをスタートさせます。

その5年後、15歳のときにニューヨークの家族や友人の助けを借りて彼自身のレーベルを立ち上げます。

パーソンズを卒業後は、ペリー・エリスやカルバン・クラインの下で経験を積み、1987年にニューヨークのデパートで開催されたショーで最初のコレクションを発表。1988年にソーホーにアトリエをオープンさせ自分の名を冠したブランド「アイザックミズラヒ」を設立します。

その後1年ごとにペリーエリス賞・ベストデザイナー賞・ウールマーク賞といった有名な賞を次々に受賞。

また、90年代以来ミズラヒは様々なテレビ番組や映画に出演、特にファッション業界をテーマにし、半年間に渡ってアイザックミズラヒを追ったドキュメンタリー「アンジップト」が公開され観客賞を受賞。同年にシャネルからの出資を受け「アイザック」というセカンドラインの発表も行っています。

ただ、アイデアとクリエイティブなデザインで高い評価を得る一方、デザイン性が強すぎ実用性に欠け財政難を引き起こし経営危機を向かえ1998年にブランドを閉鎖。

その後、彼は自身の才能を発揮しメディアに多く出演し2006年にゴールデングローブ賞を受賞します。そして2010年には「ISaacMizrahiLIVE」と呼ばれるブランドを立ち上げます。

2011年には、IsaaxMizrahiLiveは継続するもののエクセルブランド社にブランドを売却。

2012年8月の時点でフットウェアやデニム、ミズラヒ初となるフレグランスの販売を手がけます。その後もエクセルブランド社のクリエイティブディレクターを務める傍ら、メディア露出も行っており、テレビ司会者とファッションデザイナーという二刀流で活躍しています。

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