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カラフルな色使いを駆使したデザインから“色の魔術師”と呼ばれる「マシュー・ウィリアムソン
- 2014-02-10 (月)
- ブランド紹介
「マシュー・ウィリアムソン(Matthew Williamson)」は、自身の名前を冠したファッションブランドです。
創業者のマシュー・ウィリアムソンは、1971年にイギリス・ウィンチェスターで生まれました。
1994年23歳の時に、イギリス・ロンドンの名門学校「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(THE LONDON INSTITUTE CENTRAL SAINT MARTINS COLLEGE OF ART AND DESIGN)」を卒業。マルニにてフリーランスとしてデザインやアシスタント業務を2年間行い実績を積みます。
そして1997年。自身の名前を冠したファッションブランド「マシュー・ウィリアムソン」を設立し、同年春夏のロンドンコレクションでデビューを飾ります。その後マシューはショー形式のコレクションを発表。
2002年には発表の場を、アメリカ・ニューヨークに移動。発表の場を移した事により、心境の変化があったのか以前のデザインとは違う、着やすく機能的なものに変化してきています。
2006年~09年までは、ファッションブランド「エミリオ・プッチ」のアーティスティックデザイナーを務めたことで更に知名度を高めていきます。この間、エミリオ・プッチのコレクションを発表。カラフルな色使いやプリント柄を駆使したデザインを多数発表し「色の魔術師」と呼ばれるようになります。
エミリオ・プッチのデザイナーを3年間勤め上げた後には、スウェーデンの有名ブランド「H&M」とのコラボレーション「マシュー・ウィリアムソン・フォー・エイチ・アンド・エム(Matthew Williamson for H&M)」を発表し、マシューが初めてメンズウェアをデザインしたことが話題となりました。
2011年からは自身のブランドに加え、「ブルガリ」や「バランタイン」といったブランドのカプセルコレクション・デザイナーを務め、レディスウェアやメンズウェア、バッグデザインなどを手がけ、現在でも幅広く活躍しています。
リボンメーカーから総合ブランドとして成長した「バリー(bally)」
- 2014-02-07 (金)
- ブランド紹介
「バリー(bally)」は、1851年にカール・フランツ・バリーが弟と共に創業した総合ブランドです。
バリーはスイスのシエネレベルトで創業し、元々ゴム製のリボンやサスペンダーといったものを中心に製造するメーカーでしたが、カール・フランツ・バリーは、出張で行ったパリジェンヌの婦人靴に触発され、自身で靴の開発を始めます。そして「Bally&Co」という会社を設立し、ファッションの世界に入りました。
会社を設立後に靴を生産するため、スチームをはじめ様々な機器を取り入れて生産ラインを整え規模を大きく広げていきます。
この間世代交代を繰り返し、1950年代には創業者の孫にあたるマックス・バリーによって、バリー最高峰とも言われるシューズ「スクリーブ」が誕生します。
このシューズは革新的と言われ、履き込めば履きこむほどに自分の足にフィットする、ゴムとコルクを混ぜ合わせたフットベット「コルクフィラー」を使用した快適なシューズとして高い評価を得ます。そして2010年の秋冬のシーズンにはオーダーメイドもスタートしています。
1960年代にはNASAより依頼を受け、宇宙靴のデザインを行い、実際にアポロ11号で使用された実績も残しています。
1970年代にはアメリカやイギリスの機器を揃え、製造ラインの効率化に成功。80年代初頭には、洗練された品質とデザインを誇るバリーは高級シューズメーカーとして地位を確立し、世界最古のラグジュアリーブランドとしても評価されました。
シューズメーカーとして知られていたバリーですが、1976年にはファッションのほかレザー関連のアクセサリーを作るブランドを設立。
2001年には本格的に総合ファッションブランドとして歩み始めます。この際ファッションコンセプトとしたのが都会的なイメージを持たせた「最上の最高の日常着」。現在もプレタポルテやその他のコレクションでも、このテーマを最前に置き、バリーの伝統も守りながら、メンズ・ウィメンズ共にデザインを生み出しています。
ロマンティックかつフェミニンなデザインが有名「ニナ・リッチ
- 2014-02-05 (水)
- ブランド紹介
独特な服作りの手法から「彫刻家」とも呼ばれていた「ニナ・リッチ」についてご紹介します。
ニナ・リッチは、1932年に誕生した自分自身の名前「マリア・ニナ・リッチ」を冠したファッションブランドです。
彼女は1883年にイタリアのトリノで生まれ、幼いながら服に興味を示し13歳でお針子からファッションキャリアをスタート。
18歳の時に宝石商のルイ・リッチと結婚しフランスに移住。縫製の修行を重ね続け1932年に自身の名前を冠したメゾン「ニナ・リッチ」をパリにオープン。
デッサンを行わずに服地を直接顧客に当ててカットやドレープをする彼女の洗練された服飾技術から「彫刻家」と呼ばれ、ロマンティックかつフェミニンなデザインで一躍彼女を有名にしました。
1945年には息子のロベールにメゾンの経営権を譲りデザインに専念。ロベール自身も150体のマネキンに一押しのオートクチュールを着せてルーブル美術館でファッションショーを行ったり、46年に香水部門を設立し「クール・ジョア」「レール・デュ・タン」といったトップセールス&ロングヒットを飛ばす香水を販売し経営を成功させました。ニナ・リッチも航空会社の制服のデザインなどを行い活動を続けます。
1959年には、高齢のためニナ・リッチがデザイナーを正式に引退し、ジュール=フランソワ・クラエーが後任を務めます。
1963年にクラエー退任、翌年にジェラール・ピパールがデザイナーに着任しブランド「ニナ・リッチ」の名を大きく高めます。70年にニナ・リッチが亡くなって以降、ロベールが香水部門に集中するため、ジェラールにブランド総帥を任命。ロベールは生涯香水に尽力し1988年に亡くなるまで働き続けました。
ロベールが亡くなった同年、マッシモ・グイッサン家がニナ・リッチを買収。デザイナーは複数変わるも人気は衰えず、2009年にはアメリカ大統領就任式でミシェル・オバマが着用したことが話題になりました。
現在もフェミニンなデザインで春夏・秋冬コレクションを発表、香水も変わらぬ人気を保ち続けています。
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