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独学からトップデザイナーに上りつめたフランス生まれのデザイナー

1976年にブランドを立ち上げ、そして80年代には一躍トップデザイナーへと上り詰めていったのが、フランス生まれのデザイナー、ジャンポール・ゴルチエです。

ジャンポール・ゴルチエは、1952年、フランスのパリ郊外に生まれました。両親は会計士で、幼い頃からデザインやファッションに触れる環境ではなかったといわれています。
特にファッションや芸術関係の学校に通うことなく、独学でファッションを学んでいきました。多くのデザイナーにデザイン画を送りつづけ、それがきっかけで70年にピエール カルダンのメゾンに入ることに成功します。
その後はジャック・エステルやジャン パトゥで働き、クチュールの経験を積んでいきました。

76年に、初めてアクセサリーコレクションを発表します。
それと同時に、ジャン・ポール・ゴルチエの名前でプレタポルテコレクションデビューを果たします。この時、オンワード樫山のフランス法人にあたる「カシヤマフランス」が、50%の出資をしています。

87年、第2回オスカー・ドゥ・ラ・モード受賞。
88年、「ジュニアゴルチエ」をスタート。
92年、「ゴルチエジーンズ」をスタート。
93年、「ジャンポール・ゴルチエ パルファム」をスタート。

独学で勉強を始めた彼が、一躍有名デザイナーに上りつめたのが、80年代です。
ゴルチエがアバンギャルドでパンクの精神を持ち合わせていたことや、ボンデージ・ファッションを発表したこともあり、彼の存在は大変注目を集めていました。
様々な映画の衣装も手掛け、映画界でも活躍します。
また、マドンナのワールドツアーや、マリリン・マンソンのステージ衣装なども手掛け、幅広く活躍してきました。

ファッションをスタートさせた原点に帰るため、97年春夏からオートクチュールコレクションを発表します。
98年には、初めて東京でコレクションを発表します。2003年には「浴衣」「リョーカ」「水着」を発表。
オートクチュールの成功もあり、エルメスのデザイナーにも抜擢されますが、2011年春夏コレクションを最後にエルメスのレディースプレタポルテのアースティック・ディレクターを退任。
2010年秋冬コレクションよりメンズウェアのコレクションライン「Jean Paul GAULTIER monsieur」を発表しています。

縫う」行為を否定するような、斬新な素材と手法で一躍有名に

1966年、超前衛的な手法でオートクチュールデビューを果たしたブランドが、「パコ ラバンヌ」です。彼の作品は、「縫う」という行為を否定するかのような特殊な技術がとり入れられています。針と糸で服づくりを行うのではなく、接着剤を使用したり、ペンチを使用したりすることによって、今までにはない、正に鎧のような服が出来上がったのです。
これは、女戦士を象徴したもので、女性の社会進出が盛んに叫ばれていた頃に発表されたもの。世間をあっと言わせ、一気に注目を浴びました。

ブランド創立者であるパコ ラバンヌは、1934年、スペインのバスク地方生まれ。5歳の時にフランスに亡命します。
17歳でパリにわたり、美術学校に入学。そこで今後のテーマとなるような素材たちと出会い、特に、硬質な無機素材に魅せられたといいます。

その後生活のためにアクセサリーをデザインしては、有名ブランドであるバレンシアガ、クリスチャンディオール、ジバンシィ、シャネルなどに売っていたようです。と同時に、特殊な素材でボタンやアクセサリーなどを家で製作しており、こうしてパコ ラバンヌ独特の手法が誕生していったのです。
そして、66年に、ブランド「パコ ラバンヌ」を設立。
斬新な素材と斬新な手法でつくられた彼の作品は大きな注目を集めます。それをきっかけとして、イヴ・サンローランやピエール カルダンらとともにオートクチュールを引っ張る存在となりました。

90年、デ・オール賞を受賞。
96年、香水、服飾ともにユニセックスなセカンドライン、パコを発表。
しかし、99年の秋冬コレクションをもってオートクチュール部門の活動を停止することを発表しました。
ファッション部門も閉鎖することが決定され、その後は香水をメインに、ブランド再生への道を画策していきました。
2011年には、マニッシュ アローラがパコ ラバンヌのウィメンズファッション部門のアーティスティック・ディレクターに就任することで話題を集めましたが、2012年5月には、アローラが辞任することが発表されました。

女性の魅力を最大限まで引き出すドレスが有名

妻のためのコスチュームジュエリーのデザインを行ったことがきっかけで、ファッション業界に入ったといわれているのが、フランス人デザイナーのロリス・アザロです。
1933年生まれであるロリス・アザロは、1967年、自身の名からとったクチュール・ブランド「アザロ」を設立します。
一流ブランドが並ぶパリのフォーブル・サントノーレ通りに、創業当初から本店を構えています。
アザロといえば、ドレスが有名。最高の技術をもった職人たちが、一つ一つに手作業を加え、美しいドレスを生み出しています。セクシーでもあり、品のあるドレスは、女性の魅力を最大限に引き出してくれると評判で、現在でも多くのセレブリティに愛され続けています。

ロリス・アザロがブランドを設立した直後、シルクジャージーやルレックスという金属糸のニットを使用したドレスを製作したことで、評判を呼びました。これが、現在においてもアザロの中で最も有名なドレスです。3つの生地から成り、首元に連なるスパンコールで覆われたリングが特徴的で、このドレスが有名になったことでブランドが軌道にのったといわれています。
アザロのドレスは、ソフィア・ローレン、ラクエル・ウェルチ、ロミー・シュナイダーなど、時代を引っ張ってきた多くのセレブリティたちが、レッドカーペットで着用しています。

ロリス・アザロの死後、アルゼンチンのデザイナーである、ヴァネッサ・スアードによって、2004-2005年秋冬シーズンからブランドが復活しました。
2011年にはフランス系ブラジル人のマチルド・カステッロ・ブランコがクリエイティブ・デザイナーに就任します。彼女はエルメスのデザイナーとしても活躍していた時期があり、その後はランバンで10年間キャリアを積んできた実力派です。
アザロのドレスは海外で有名ですが、日本ではフレグランスの方が浸透しているかもしれません。有名ブランドながら、再出発を遂げた、これからを楽しみにしたいブランドでもあります。

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