コレクション - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

ホーム > タグ > コレクション

コレクション

幾何学模様と色彩にこだわったニットが人気になったイタリアのブランド「ミッソーニ」

ブランドが好きな方であれば、ジグザグ模様の入ったニットを一度は見たことがあるはず。革新的な技術と少数生産で人気を呼んだイタリア高級ブランド「ミッソーニ(Missoni)」をご紹介します。

「ミッソーニ(Missoni)」は、1953年にイタリアで生まれたファッションブランドです。

創業者はオッタヴィオ・ミッソーニとロジータ・ミッソーニ夫妻で、ともに1921年に生まれています。オッタヴィオは1948年のロンドン・オリンピックで陸上の選手として活躍し、創業後も最初はスポーツウェアの製造を行っていました。

スポーツウェアの製造を中心としながらも、徐々に高級アパレル製品の製造にシフトしていきます。

一気に流れが変わったのが、特徴的な幾何学模様と色彩の「ニット」が大きな人気を呼び、ニットウェアなどの製品を次々に発表。上流階級の人にまで顧客層を広げた功績を残しています。

1966年にはミラノコレクションでデビューを果たし、83年にはイタリア・ミラノにある、イタリアオペラの最高峰「スカラ座」からの依頼を受けて舞台衣装を手がけたことは有名です。製品の実績から世界に通用するブランドとして成功を収めました。

そして1997年に、両夫妻が経営から退き、息子となるヴィットリオが経営、ルカがメンズデザインとテキスタイルディレクション、娘のアンジェラがレディースのデザインを手がける家族経営の形を取り、若い世代に受け入れられるデザインを積極的に取り入れ、コレクションの発表を行っています。

しかし、2013年1月4日。経営を行っていたヴィットリオ・ミッソーニ氏夫妻を乗せた飛行機がベネズエラに墜落し行方不明に。そして、同年5月9日にオッタヴィオ氏も病気でこの世を去ってしまいます。約半年後の6月27日に同国沖の海中でヴィットリオ氏夫妻が乗った小型機を発見しますが、遺体は未だ見つかっていません。

経営に携わる柱を相次いで無くしてしまったミッソーニですが、2013~2014年の春夏/秋冬コレクションを発表するなど精力的に活動を続けています。

カラフルな色使いを駆使したデザインから“色の魔術師”と呼ばれる「マシュー・ウィリアムソン

「マシュー・ウィリアムソン(Matthew Williamson)」は、自身の名前を冠したファッションブランドです。

創業者のマシュー・ウィリアムソンは、1971年にイギリス・ウィンチェスターで生まれました。

1994年23歳の時に、イギリス・ロンドンの名門学校「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(THE LONDON INSTITUTE CENTRAL SAINT MARTINS COLLEGE OF ART AND DESIGN)」を卒業。マルニにてフリーランスとしてデザインやアシスタント業務を2年間行い実績を積みます。

そして1997年。自身の名前を冠したファッションブランド「マシュー・ウィリアムソン」を設立し、同年春夏のロンドンコレクションでデビューを飾ります。その後マシューはショー形式のコレクションを発表。

2002年には発表の場を、アメリカ・ニューヨークに移動。発表の場を移した事により、心境の変化があったのか以前のデザインとは違う、着やすく機能的なものに変化してきています。

2006年~09年までは、ファッションブランド「エミリオ・プッチ」のアーティスティックデザイナーを務めたことで更に知名度を高めていきます。この間、エミリオ・プッチのコレクションを発表。カラフルな色使いやプリント柄を駆使したデザインを多数発表し「色の魔術師」と呼ばれるようになります。

エミリオ・プッチのデザイナーを3年間勤め上げた後には、スウェーデンの有名ブランド「H&M」とのコラボレーション「マシュー・ウィリアムソン・フォー・エイチ・アンド・エム(Matthew Williamson for H&M)」を発表し、マシューが初めてメンズウェアをデザインしたことが話題となりました。

2011年からは自身のブランドに加え、「ブルガリ」や「バランタイン」といったブランドのカプセルコレクション・デザイナーを務め、レディスウェアやメンズウェア、バッグデザインなどを手がけ、現在でも幅広く活躍しています。

ミラノ・コレクションを牽引する世界的ブランド「ジル・サンダー」

「ジル・サンダー(JIL SANDER)」は、ジル・サンダー自らの名前を冠し、ミニマル・機能性・品格などを高く評価された世界的なファッションブランドです。

ジル・サンダーは1943年ドイツのハンブルグに生まれ、クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイル専門学校を卒業しテキスタイルのエンジニアとして働き始めます。

その後アメリカに渡りカリフォルニア大学に留学。ニューヨークの出版社に就職し、女性専用の「マッコール」「コンスタンツ」といった雑誌のファッション・ジャーナリストとして活躍します。その後、1965年に再びドイツに戻り、ハンブルグに自身のブティックと会社を設立しましました。

「ソニアリキエル」の服を中心に販売を行い、自分のデザインした服を販売する様になります。形態的にはブティックというよりもセレクトショップに近かったようです。

そして1973年にパリのプレタポルテ・コレクションでデビューを飾るも80年に撤退。70~80年代はじめのカラフルな服が主流の時代に、彼女の繊細かつミニマルなデザインはそぐわなかったのが一番の理由とされ、この期間は香水の売上によってブランドが支えられていたと言われています。

1985年に拠点をミラノに移し、87年にミラノコレクションに参加。

1989年には自社をフランクフルト市場に上場させ、世界的な規模での事業を開始。97年の秋冬コレクションからはメンズラインを始め、PUMAとのコラボスニーカーを発表するなど活躍の幅を広げました。

しかし1999年にプラダグループにより買収され、2000年の秋冬コレクションを最後にデザイナーと経営から撤退を発表。03年に再びクリエイティブ・ディレクターとして復帰するものの1年後の04年に、再びプラダとの方向性の不一致から辞任を決めます。

5年後の2009年にユニクロの運営を行うファーストリテイング社とデザインコンサルティング契約を行い、ユニクロの高価格ライン「+J」のデザインとユニクロ全商品の監修を勤め上げましたが、2011年契約満了と共に同ラインも終了。

そして2012年。ジル・サンダー社のクリエイティブ・ディレクターとして復帰し、2013年春夏シーズンからデザインを手がけましたが、2014年のコレクションをもって退任、後任はデザインチームがブランドを引き継いで運営しています。

ホーム > タグ > コレクション

ページ
QRコード
シーエーセールススタッフQRコード

☆モバイルはこちら☆

.

ページのトップに戻る