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メンズ・レディース・アクセサリー・バッグなど幅広くとりあつかう「3.1 フィリップリム」
- 2014-02-21 (金)
- ブランド紹介
「3.1フィリップリム(3.1 Phillip Lim)」は、デザイナーのフィリップ・リム氏がアメリカ・ニューヨークで設立したファッションブランドです。レディースファッション・メンズファッション・フレグランス・バッグ・アクセサリーと幅広く取り扱っています。
同ブランドのファッションは、黒を基調にしたシンプルかつクリーン、フェミニンで洗練されたデザインが特徴。素材の選定から細部までしっかり作りこまれていることや、デザイナー自身が受賞した賞によって世界的に高く評価され、今では海外のセレブに愛用されています。
では「3.1フィリップリム」の歴史についてみてみましょう。
同ブランドを設立したフィリップ・リムは、1973年にアメリカ・カリフォルニア州に中国系アメリカ人の家系に生を受けました。
同氏はカリフォルニア州立大学にて財政学を学ぶものの熱中できずデザイナーに方向転換し修行を開始、アメリカのファッションデザイナー「カティヨン・アデリ(katayone ADELI)」の元でデザインアシスタントのインターンとして働き経験を積んでいきます。
カティヨン・アデリで働いた後に、「ディベロップメント(development)」のヘッドデザイナーとして働き始め頭角を現していきます。
そして2005年、ニューヨークに拠点を移し「3.1 フィリップリム」という、自分の名前と年齢を冠したファッションブランドを立ち上げ、翌年2006年の冬にニューヨークのコレクションで自身のブランドとしての作品を発表し大きな評価を得ていきます。
また、将来有望な若手のデザイナーに贈られる賞「ヴォーグ・ファッション・ファンド・アワード」を2006年、2007年の2年連続でファイナリストに残ったことで彼の名とブランドは世界中に知られるようになっていきます。
同年にメンズコレクションを発表、2009年には6人の調香師とコラボして完成させた限定香水「Six Scents」プロジェクトにも参加。2012年には、大胆なグラフィック柄やモノトーンを基調にしたファッションをの秋冬コレクションで発表するなど知名度を高め、日本ではデザイナーがモデルを発掘するイベントを開催、水原希子さんが選ばれたことが話題になりました。
まさに数々の賞を受賞している実力派ブランドです。
幾何学模様と色彩にこだわったニットが人気になったイタリアのブランド「ミッソーニ」
- 2014-02-12 (水)
- ブランド紹介
ブランドが好きな方であれば、ジグザグ模様の入ったニットを一度は見たことがあるはず。革新的な技術と少数生産で人気を呼んだイタリア高級ブランド「ミッソーニ(Missoni)」をご紹介します。
「ミッソーニ(Missoni)」は、1953年にイタリアで生まれたファッションブランドです。
創業者はオッタヴィオ・ミッソーニとロジータ・ミッソーニ夫妻で、ともに1921年に生まれています。オッタヴィオは1948年のロンドン・オリンピックで陸上の選手として活躍し、創業後も最初はスポーツウェアの製造を行っていました。
スポーツウェアの製造を中心としながらも、徐々に高級アパレル製品の製造にシフトしていきます。
一気に流れが変わったのが、特徴的な幾何学模様と色彩の「ニット」が大きな人気を呼び、ニットウェアなどの製品を次々に発表。上流階級の人にまで顧客層を広げた功績を残しています。
1966年にはミラノコレクションでデビューを果たし、83年にはイタリア・ミラノにある、イタリアオペラの最高峰「スカラ座」からの依頼を受けて舞台衣装を手がけたことは有名です。製品の実績から世界に通用するブランドとして成功を収めました。
そして1997年に、両夫妻が経営から退き、息子となるヴィットリオが経営、ルカがメンズデザインとテキスタイルディレクション、娘のアンジェラがレディースのデザインを手がける家族経営の形を取り、若い世代に受け入れられるデザインを積極的に取り入れ、コレクションの発表を行っています。
しかし、2013年1月4日。経営を行っていたヴィットリオ・ミッソーニ氏夫妻を乗せた飛行機がベネズエラに墜落し行方不明に。そして、同年5月9日にオッタヴィオ氏も病気でこの世を去ってしまいます。約半年後の6月27日に同国沖の海中でヴィットリオ氏夫妻が乗った小型機を発見しますが、遺体は未だ見つかっていません。
経営に携わる柱を相次いで無くしてしまったミッソーニですが、2013~2014年の春夏/秋冬コレクションを発表するなど精力的に活動を続けています。
ロマンティックかつフェミニンなデザインが有名「ニナ・リッチ
- 2014-02-05 (水)
- ブランド紹介
独特な服作りの手法から「彫刻家」とも呼ばれていた「ニナ・リッチ」についてご紹介します。
ニナ・リッチは、1932年に誕生した自分自身の名前「マリア・ニナ・リッチ」を冠したファッションブランドです。
彼女は1883年にイタリアのトリノで生まれ、幼いながら服に興味を示し13歳でお針子からファッションキャリアをスタート。
18歳の時に宝石商のルイ・リッチと結婚しフランスに移住。縫製の修行を重ね続け1932年に自身の名前を冠したメゾン「ニナ・リッチ」をパリにオープン。
デッサンを行わずに服地を直接顧客に当ててカットやドレープをする彼女の洗練された服飾技術から「彫刻家」と呼ばれ、ロマンティックかつフェミニンなデザインで一躍彼女を有名にしました。
1945年には息子のロベールにメゾンの経営権を譲りデザインに専念。ロベール自身も150体のマネキンに一押しのオートクチュールを着せてルーブル美術館でファッションショーを行ったり、46年に香水部門を設立し「クール・ジョア」「レール・デュ・タン」といったトップセールス&ロングヒットを飛ばす香水を販売し経営を成功させました。ニナ・リッチも航空会社の制服のデザインなどを行い活動を続けます。
1959年には、高齢のためニナ・リッチがデザイナーを正式に引退し、ジュール=フランソワ・クラエーが後任を務めます。
1963年にクラエー退任、翌年にジェラール・ピパールがデザイナーに着任しブランド「ニナ・リッチ」の名を大きく高めます。70年にニナ・リッチが亡くなって以降、ロベールが香水部門に集中するため、ジェラールにブランド総帥を任命。ロベールは生涯香水に尽力し1988年に亡くなるまで働き続けました。
ロベールが亡くなった同年、マッシモ・グイッサン家がニナ・リッチを買収。デザイナーは複数変わるも人気は衰えず、2009年にはアメリカ大統領就任式でミシェル・オバマが着用したことが話題になりました。
現在もフェミニンなデザインで春夏・秋冬コレクションを発表、香水も変わらぬ人気を保ち続けています。
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