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ミラノ・コレクションを牽引する世界的ブランド「ジル・サンダー」

「ジル・サンダー(JIL SANDER)」は、ジル・サンダー自らの名前を冠し、ミニマル・機能性・品格などを高く評価された世界的なファッションブランドです。

ジル・サンダーは1943年ドイツのハンブルグに生まれ、クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイル専門学校を卒業しテキスタイルのエンジニアとして働き始めます。

その後アメリカに渡りカリフォルニア大学に留学。ニューヨークの出版社に就職し、女性専用の「マッコール」「コンスタンツ」といった雑誌のファッション・ジャーナリストとして活躍します。その後、1965年に再びドイツに戻り、ハンブルグに自身のブティックと会社を設立しましました。

「ソニアリキエル」の服を中心に販売を行い、自分のデザインした服を販売する様になります。形態的にはブティックというよりもセレクトショップに近かったようです。

そして1973年にパリのプレタポルテ・コレクションでデビューを飾るも80年に撤退。70~80年代はじめのカラフルな服が主流の時代に、彼女の繊細かつミニマルなデザインはそぐわなかったのが一番の理由とされ、この期間は香水の売上によってブランドが支えられていたと言われています。

1985年に拠点をミラノに移し、87年にミラノコレクションに参加。

1989年には自社をフランクフルト市場に上場させ、世界的な規模での事業を開始。97年の秋冬コレクションからはメンズラインを始め、PUMAとのコラボスニーカーを発表するなど活躍の幅を広げました。

しかし1999年にプラダグループにより買収され、2000年の秋冬コレクションを最後にデザイナーと経営から撤退を発表。03年に再びクリエイティブ・ディレクターとして復帰するものの1年後の04年に、再びプラダとの方向性の不一致から辞任を決めます。

5年後の2009年にユニクロの運営を行うファーストリテイング社とデザインコンサルティング契約を行い、ユニクロの高価格ライン「+J」のデザインとユニクロ全商品の監修を勤め上げましたが、2011年契約満了と共に同ラインも終了。

そして2012年。ジル・サンダー社のクリエイティブ・ディレクターとして復帰し、2013年春夏シーズンからデザインを手がけましたが、2014年のコレクションをもって退任、後任はデザインチームがブランドを引き継いで運営しています。

美しい色使いとディティールが特徴的な高級ファッションブランド「エスカーダ

「エスカーダ」は、ドイツのミュンヘンに拠点を置く高級ファッションブランドです。

同ブランドは、ヴォルフガング・レイ(Wolfgang Ley)とパリコレモデルだったスウェーデン出身のマルガレッタ(Margaretha)が、競馬場で同じ馬に賭け、共に勝利した事がきっかけとなり結婚、この際勝利した馬の名前をブランド名にし、1972年にファッションブランド「エスカーダ(Escada)」が誕生しました。

ブランドでは、ヴォルフガング・レイがビジネスを担当し、マルガレッタがデザインを担当と分業。競馬が縁で結婚しただけあり、「競馬鑑賞に相応しい」をテーマにプレタポルテのコレクションを発表し、そこからたった数年でヨーロッパで知らないものは居ないブランドにのし上がっていくのです。

エスカーダは、モダンエレガンス・クールグラマラス・女性らしさをコンセプトにした「エスカーダ」と、都会的魅力・クールシック・フレッシュ・フェミニンをコンセプトにした「エスカーダ スポート」の2つのブランドで構成、生産・販売。

大胆な色や素材の組み合せ、豊富なカラーバリエーションで更なる人気を博しているのは言うまでもありません。

同ブランドは、美しい色使いに始まりフィット感やディティールなど洗練され、特にクチュール仕立ドレスは世界的に高い評価を得ました。デミムーアやケイティ・ホームズなどハリウッドのセレブたちが愛用しており、店舗は世界80ヶ国以上に構えるほどの人気を誇ります。

ブランド設立後の1982年には、ニューヨーク5番街にアメリカ最初のお店をオープン、90年には最初の香水となる「マルガレッタ・レイ」を発表。

92年にマルガレッタが亡くなってしまい、彼女の右腕ブライアン・レニーをデザイナーに迎え「エスカーダ スポート」を発表。2003年には、六本木ヒルズに日本初の旗艦店をオープンします。

2009年には、マネキン50体を利用し過去30年間の作品を展示したのは有名な話です。同年ミタルトラストファミリーにビジネス売却・譲渡を行い、譲渡後の2011年にエスカーダ スポートの秋冬コレクションを発表しました。

40歳の若さでこの世を去ったデザイナー「アレキサンダー マックイーン」

「アレクサンダー マックイーン(Alexander McQueen)」はイギリスのロンドンに拠点を置くファッションブランドです。

同ブランドを設立したデザイナー、アレクサンダー・マックイーンは1969年にイギリス・ロンドンで生まれた6人兄弟の末っ子。中学を卒業後、パブなどで働くも長続きせず、偶然ニュースで知った仕立職人への道に入り、サヴィル・ローのアシスタントして働き始めます。

ファッション業界で仕事をし始めた後、イタリアに渡りロメオ・ジリのアトリエでの勤務しました。その後、再びイギリスに戻ってセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインにパターンカッティング講師として雇われ、この時に大学院課程を取得卒業。

1991年、セントマーチンズカレッジの卒業コレクションの時「ヴォーグ」のイザベラ・ブロウの目に留まりデビュー。その翌年92年に、自身の名前を冠したファッションブランド「アレクサンダー マックイーン」を設立したのです。

1993年にはロンドンコレクションに出展、96年にはシバンシィのデザイナーに就任するも仲違いの末2001年の契約満了とともにデザイナーを降りることになります。

その後時を少しおき、2002年春夏コレクションではメンズコレクションを発表。06年にスポーツ用品「PUMA」とコラボレーションとして「Alexander McQueen PUMA」でスニーカーを発表、2006年には自分のブランドのセカンドラインとなる、若者向けブランド「McQ(マックキュー)」を発表しています。

メンズ・レディースファッションのほか、赤十字やサムソナイトとのコラボで、バッグやキャリアケースのデザインを行ったりと、型にはまらないデザインを精力的に行い、そのデザインは前衛的なファッションを好むレディー・ガガといった有名人の顧客も多くかかえました。

しかし、2010年2月11日の朝、40歳の若さでこの世を去ることになります。事件性は無いものの、自殺との発表もなく謎まま。

彼亡き後のブランドは、アレキサンダー・マックイーンのウィメンズデザインを担当していたサラ・バートンがクリエイティブディレクターに就任、継続してブランドを維持しています。

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