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メンズ・ウィメンズ・フレグランス・家具まで幅広く手がけるファッションブランド「ジャスパーコンラン」

今回はメンズやウィメンズウェアのデザインをはじめ、フレグランス・家具までも幅広く手がけるファッションブランド「ジャスパーコンラン(JASPER CONRAN)」をご紹介します。

「ジャスパーコンラン(JASPER CONRAN)」は、1978年にジャスパー・コンラン自身が、自身の名前を冠し立ち上げたファッションブランドです。

ジャスパー・コンランは1959年にイギリス・ロンドンで、インテリアデザイナー兼経営者のコンラン卿の子息として誕生しました。デザインを学ぶため、アメリカ・ニューヨークにあるパーソンズ美術大学に入学、1977年に卒業しました。

1978年にアンリ・ベンデル・ニューヨークでコンラン初となるコレクションを発表、翌年79年、コンラン19歳の時に自身の名前を冠した「ジャスパーコンラン(JASPER CONRAN)」を設立し、初となるレディースコレクションを発表しました。

85年にはメンズウェアのコレクションのデザインも行うなど、精力的に活動の範囲を広げていくのです。

1994年には、ウェディングドレスのデザインをサラアームスロトング・ジョーンズに行い、96年には英国百貨店のデベンハムズの婦人服のデザインも手がけています。90年代にかけて女性のアクセサリーやランジェリーや靴下、紳士服やメンズのアクセサリー、子供服や家具用品、その他にもミュージカルやバレエのコスチュームデザイン、ウエッジウッドやウォーターフォードといった陶器やクリスタルを扱うメーカーとのコラボでデザインも行うなど、服飾だけに限らず幅広いデザインや設計も手がけています。

2003年にはフレグランスラインを開始、2年後の05年にはロンドンのメイフェアに旗艦店をオープンしています。

現在ではブリティッシュテイストを持ち合わせとテーラリング技術が評価を呼び、イギリスでも知名度の高いブランドの一つとなっています。

ちなみにコンランは公然同性愛者でもあり、年間ピンクリストにもランクインされた経歴をもっています。

アバンギャルドさで注目を集めたブランド「ジョン ガリアーノ」

今回は、イギリスのブランドの中でもアバンギャルドさで注目を集めた「ジョン ガリアーノ(John Galliano)」をご紹介いたします。

「ジョン ガリアーノ(John Galliano)」は、1985年にジョン・ガリアーノ自身の名前を冠するファッションブランドです。

ジョン・ガリアーノは、1960年にイギリスの植民地でもあったジブラルタルにジブラルタル人の父とスペイン人の母の間に生まれ、6歳でロンドンに移住。

イギリス・ロンドンにあるロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ・カレッジオブ・アート・アンド・デザインのテキスタイル科に入学。その後転科を行いモード科に移籍。84年にはセントマーチンズのモード科を主席で卒業しました。

卒業コレクションで作成した「アフガニスタンとヨーロッパの理想」という作品がロンドンにあるブティック「ブラウンズ」に飾られた好評を得たことから、ブラウンズと5年間の契約を締結。

そして84年の翌年、1985年にロンドンコレクションに出展し、自身の名を冠するブランド「ジョン ガリアーノ(John Galliano)」でデビューを果たします。この際、バイアスカットのドレスやオーダーメードのスーツなどを作成、高い評価を得ます。

デビュー時には「さかさまの服」というジャケットやボトムを逆さま・裏返しに着るデザインを行うなど、アバンギャルドさで注目を集めました。ただ、デザインが革新的過ぎたため「売れない服」と烙印を押され資金面で苦労を重ねます。

1989年にはパリ・オートクチュール協会の招待を受けてコレクションに参加、1991年にはパリコレの正式メンバーとして加入。しかし、パリに移ってからも資金面で苦しく、パトロンを探しまわったり、生地が買えず黒生地のみで作られた服やモデルも有志のみというコレクションもあったようです。

転機が訪れたのは1995年、ユベール・ジバンシィが自分の立ち上げたブランド「ジバンシィ」を引退し、その後任としてガリアーノがデザイナーに抜擢されました。しかし1996~97年のコレクションに2回参加したのみとなり、その後アレキサンダー・マックイーンがデザイナーに就任しました。

1997年よりディオールのデザイナーに就任し、古典の服飾や世界中の民族衣装のリサーチを行い、マサイ族をテーマにしたニュールックの発表などで高い評価を得、プレタポルテ部門での売上も驚異的な伸びを記録。

しかし、2011年酒に酔い差別発言を行ったため警察に拘束。ディオールや自身のブランド・ジョンガリアーノを解雇されてしまいました。

ギーブスと並ぶテーラードの老舗「キルガー」

今回は、イギリス・ロンドンのテーラーが立ち並ぶサヴィル・ロウに拠点を置く老舗テーラー「キルガー(Kilgour)」をご紹介します。

「キルガー(Kilgour)」は、1882年に創業したビスポークテーラー「T&F French Besoke tailors」が前身となり、現在の拠点サヴィル・ロウから少し離れたドーヴァー通りで創業しました。

1900年代に入ってからA.H.キルガーと合併し「キルガー&フレンチ」になり、1937年にはハンガリー人テーラー「フレッド」と「ルイス」のスタンバリー兄弟が加わることで同年には「キルガー・フレンチ・スタンバリー(Kilgour French Stanbury)」に社名が変更となります。

1974年にはクリエイティブディレクターとして、スーツのカッティングテクニックで伝説となり、テーラーの世界に影響を与えたトミーナッターを起用。97年に入ってからは、カルロ・ブランデッリをクリエイティブディレクターに起用するなど、老舗の歴史に囚われず新しい顧客層を開拓。また、マスターテーラーも輩出するなど技術の継承にも力を入れています。

1982年にはドーヴァー通りから現在の拠点となるサヴィル・ロウ8番地に移転。2003年からは既製服ラインの生産も始まり、翌年には現在の社名でもある「キルガー」に変更されました。

キルガーはメンズのテーラー以外にもレディメイドのコレクションもあり豊富なラインナップが人気を呼び、現在ではサヴィル・ロウに拠点を置く老舗テーラー「ギーブス&ホークス」と並びビジネスマンの間でも人気となっています。販売の幅も広げるため、サヴィル・ロウに拠点を構えるテーラーとしては初となるバーニーズ・ニューヨークとのライセンス販売なども行っています。

また、キルガーには、ケリー・グラントやブラット・ピッドなどのハリウッド俳優やスター、エルトン・ジョンなどのミュージシャンなども顧客として名を連ね支持を得ています。

日本に直営店は無いものの、セレクトショップを中心に取扱があるようです

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