転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ

縫う」行為を否定するような、斬新な素材と手法で一躍有名に

1966年、超前衛的な手法でオートクチュールデビューを果たしたブランドが、「パコ ラバンヌ」です。彼の作品は、「縫う」という行為を否定するかのような特殊な技術がとり入れられています。針と糸で服づくりを行うのではなく、接着剤を使用したり、ペンチを使用したりすることによって、今までにはない、正に鎧のような服が出来上がったのです。
これは、女戦士を象徴したもので、女性の社会進出が盛んに叫ばれていた頃に発表されたもの。世間をあっと言わせ、一気に注目を浴びました。

ブランド創立者であるパコ ラバンヌは、1934年、スペインのバスク地方生まれ。5歳の時にフランスに亡命します。
17歳でパリにわたり、美術学校に入学。そこで今後のテーマとなるような素材たちと出会い、特に、硬質な無機素材に魅せられたといいます。

その後生活のためにアクセサリーをデザインしては、有名ブランドであるバレンシアガ、クリスチャンディオール、ジバンシィ、シャネルなどに売っていたようです。と同時に、特殊な素材でボタンやアクセサリーなどを家で製作しており、こうしてパコ ラバンヌ独特の手法が誕生していったのです。
そして、66年に、ブランド「パコ ラバンヌ」を設立。
斬新な素材と斬新な手法でつくられた彼の作品は大きな注目を集めます。それをきっかけとして、イヴ・サンローランやピエール カルダンらとともにオートクチュールを引っ張る存在となりました。

90年、デ・オール賞を受賞。
96年、香水、服飾ともにユニセックスなセカンドライン、パコを発表。
しかし、99年の秋冬コレクションをもってオートクチュール部門の活動を停止することを発表しました。
ファッション部門も閉鎖することが決定され、その後は香水をメインに、ブランド再生への道を画策していきました。
2011年には、マニッシュ アローラがパコ ラバンヌのウィメンズファッション部門のアーティスティック・ディレクターに就任することで話題を集めましたが、2012年5月には、アローラが辞任することが発表されました。

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女性の魅力を最大限まで引き出すドレスが有名

妻のためのコスチュームジュエリーのデザインを行ったことがきっかけで、ファッション業界に入ったといわれているのが、フランス人デザイナーのロリス・アザロです。
1933年生まれであるロリス・アザロは、1967年、自身の名からとったクチュール・ブランド「アザロ」を設立します。
一流ブランドが並ぶパリのフォーブル・サントノーレ通りに、創業当初から本店を構えています。
アザロといえば、ドレスが有名。最高の技術をもった職人たちが、一つ一つに手作業を加え、美しいドレスを生み出しています。セクシーでもあり、品のあるドレスは、女性の魅力を最大限に引き出してくれると評判で、現在でも多くのセレブリティに愛され続けています。

ロリス・アザロがブランドを設立した直後、シルクジャージーやルレックスという金属糸のニットを使用したドレスを製作したことで、評判を呼びました。これが、現在においてもアザロの中で最も有名なドレスです。3つの生地から成り、首元に連なるスパンコールで覆われたリングが特徴的で、このドレスが有名になったことでブランドが軌道にのったといわれています。
アザロのドレスは、ソフィア・ローレン、ラクエル・ウェルチ、ロミー・シュナイダーなど、時代を引っ張ってきた多くのセレブリティたちが、レッドカーペットで着用しています。

ロリス・アザロの死後、アルゼンチンのデザイナーである、ヴァネッサ・スアードによって、2004-2005年秋冬シーズンからブランドが復活しました。
2011年にはフランス系ブラジル人のマチルド・カステッロ・ブランコがクリエイティブ・デザイナーに就任します。彼女はエルメスのデザイナーとしても活躍していた時期があり、その後はランバンで10年間キャリアを積んできた実力派です。
アザロのドレスは海外で有名ですが、日本ではフレグランスの方が浸透しているかもしれません。有名ブランドながら、再出発を遂げた、これからを楽しみにしたいブランドでもあります。

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「着れない服」と言われながらも高い評価を得たアメリカブランド

現在、マルチタレントとしてもその才能を発揮しているのが、アイザック・ミズラヒです。
アイザック・ミズラヒは、1988年、本人の名前を冠にして立ち上げたブランド名でもあります。当時、彼は最も多産なアイデアマンとして飛びぬけて輝いており、その斬新なアイデアは高い評価を受けていました。アメリカファッション業界においても注目すべき人物でしたが、元々アメリカは実用的なファッションを好むため、実用性に欠ける彼のデザインは、小売店からこぞって支持されたわけではなかったといわれています。

アイザック・ミズラヒは、1961年、アメリカのニューヨークに生まれます。裕福なユダヤ人の家系で、芸術系の大学であるパーソンズを卒業後、ペリーエリス、ジェフリー・バンクス、カルバンクラインのもとでキャリアを積みます。

そして88年、ソーホーにアトリエをオープンし、ブランド「アイザック・ミズラヒ」が立ち上がりました。彼の才能はすぐに認められ、翌年にはCFDAのペリーエリス賞を受賞します。そして90年、ファッション・フットウェア協会のベスト・デザイナー賞を受賞し、91年、ウールマーク賞を受賞。

94年には、ファッション業界をテーマにしたドキュメンタリー映画「アンジップト」が公開されました。これは、アイザック・ミズラヒがコレクションを準備する様子を半年間にわたって追い続けたものです。この作品は、サンダンス映画祭で観客賞を受賞しています。
同年、シャネルの出資を受け、セカンドラインである「アイザック」を発表。

しかしその後、実用性が欠け、「着れない服」と思われてしまったことで経営危機に陥り、98年、財政的な問題でブランドの歴史に幕を下ろしました。

その後は個人的に、マルチなタレントとして活躍しています。
デザイン関係も、ターゲットとのコラボレーションラインを展開するなど、様々な活動を行っています。
2008年、リズ・クレイボーンのクリエイディブ・ディレクターに就任します。

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