転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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すべてのデザイナーの師である、モードの巨匠

ディオールからは「すべてのデザイナーの師だ」と、シャネルからは「本当にクチュリエと呼べるのは彼だけだ」と言わせた名デザイナーが、バレンシアガです。
クリストバル・バレンシアガは、1895年、スペインのサンセバスチャンでバスク系のスペイン人家系に生まれます。
母から仕立てを学び、独断で裁縫を学んでいったといわれています。
1908年頃にカサ・トレス公爵夫人のスーツをリメイクした服を作ったことで才能が認められ、マドリードの仕立て屋で修業を開始。19年にパリ・オートクチュール・コレクションに初参加し、30年頃にはすでにスペインファッション界をリードする重要な存在になっていました。
スペインの内乱があったことでパリに移住し、ポールポワレに師事。バレンシアガは完璧な裁縫技術と芸術的センスにより、「クチュールの建築家」とも称されました。

36年、「黒いドレス」のシリーズを発表。
46年、香水のラインをスタート。
51年、バレルラインのスーツを発表。
58年、レジョン・ドヌール勲章受章。
67年、スクエアショルダーのスーツを発表。
50年代には、ウエストラインをもたない「バレル・ルック」やなど革新的なデザインが誕生しました。
特に有名なのは、ゆったりとしたシルエットが追求されているチュニックスタイルです。
そして68 年、バレンシアガは「プレタポルテを始めるには年を取り過ぎた」という名言を残し、オートクチュール事業を閉鎖、スペインに戻り、72年に死去しました。
その後、ブランド「バレンシアガ」はジャック・ボガードの手に渡り、その後グッチのグループが買収。99年に、グッチグループはPPR社のグループに入りました。

新生バレンシアガをアピールしたのは、チーフデザイナーを務めるニコラ ゲスキエールがデビューしたコレクション98年春夏。
ローマの剣闘士たちが履いていた靴のようなデザインのグラディエーターシューズを発表し、話題を集めました。

2005年、「モンクレール」とのコラボでアシンメトリーなジッパーなどを発表。
2008年、「コティ」とフレグランスを製造することを発表。

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大人のセクシー&グラマラスをコンセプトに、トータルコーデが叶う

「大人の女性としてのLuxeな私。様々なColor・Taste・Styleを持つ大人の女性だけが知る魅惑。どんなシーンもどんな時も、ポジティブに私らしく。Fabulous(素敵)で、Addict(中毒)になるくらいドラマティックな自分へ。」
これをコンセプトに掲げているのが、「ピンコ(PINKO)」です。

ピンコは、1980年代に設立されたファッションブランドで、女性を魅了する多彩なアイテムを豊富に揃え、女性らしさ満点のトータルコーデを提案しているブランドです。

ピンコの特徴は、シーズンごとにトップモデルをディーバとして広告に起用していることではないでしょうか。
現在までに、ナオミ・キャンベル、エヴァ・ハーツィゴヴァ、エル・マックファーソン、マライア・キャリーを起用。記憶に新しいところでは、エリン・ワッソンがディーバを務めています。また、スティーブン・クラインやテリー・リチャードソンなどの有名ファッションフォトグラファーと組んでいることでも有名です。

ピンコの店舗は、イタリアでは直営店70店舗を含む410店舗展開されています。
世界にも800カ所の販売拠点があり、ロンドンのハロッズやパリのギャラリー・ラファイエットなどの大きな百貨店もその販売拠点に含まれています。
しかしこれだけにとどまらず、ナポリやアントワープなどにも店舗をオープンさせるなど、これからも積極的に拡大していく意欲の強いブランドです。
日本では、第一号店が2006年に東京・恵比寿の恵比寿ガーデンプレイスにオープンしています(2012年7月31日をもって閉店)。その後、恵比寿三越グランススクエア店、新宿高島屋、小田急百貨店新宿店にも店舗をオープン。メインコレクションの「PINKO BRACK」をはじめ、ニットやランジェリー、バッグやシューズなどの雑貨までも取りそろえ、トータルコーデを楽しむことができます。また、待望のクラブ・ファッションイベント『Tokyo Fashion Fuse 4 バレンタイン edition』を六本木にある話題のスポット『57』で開催するなど、女性が注目しそうな話題も尽きません。

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独学からトップデザイナーに上りつめたフランス生まれのデザイナー

1976年にブランドを立ち上げ、そして80年代には一躍トップデザイナーへと上り詰めていったのが、フランス生まれのデザイナー、ジャンポール・ゴルチエです。

ジャンポール・ゴルチエは、1952年、フランスのパリ郊外に生まれました。両親は会計士で、幼い頃からデザインやファッションに触れる環境ではなかったといわれています。
特にファッションや芸術関係の学校に通うことなく、独学でファッションを学んでいきました。多くのデザイナーにデザイン画を送りつづけ、それがきっかけで70年にピエール カルダンのメゾンに入ることに成功します。
その後はジャック・エステルやジャン パトゥで働き、クチュールの経験を積んでいきました。

76年に、初めてアクセサリーコレクションを発表します。
それと同時に、ジャン・ポール・ゴルチエの名前でプレタポルテコレクションデビューを果たします。この時、オンワード樫山のフランス法人にあたる「カシヤマフランス」が、50%の出資をしています。

87年、第2回オスカー・ドゥ・ラ・モード受賞。
88年、「ジュニアゴルチエ」をスタート。
92年、「ゴルチエジーンズ」をスタート。
93年、「ジャンポール・ゴルチエ パルファム」をスタート。

独学で勉強を始めた彼が、一躍有名デザイナーに上りつめたのが、80年代です。
ゴルチエがアバンギャルドでパンクの精神を持ち合わせていたことや、ボンデージ・ファッションを発表したこともあり、彼の存在は大変注目を集めていました。
様々な映画の衣装も手掛け、映画界でも活躍します。
また、マドンナのワールドツアーや、マリリン・マンソンのステージ衣装なども手掛け、幅広く活躍してきました。

ファッションをスタートさせた原点に帰るため、97年春夏からオートクチュールコレクションを発表します。
98年には、初めて東京でコレクションを発表します。2003年には「浴衣」「リョーカ」「水着」を発表。
オートクチュールの成功もあり、エルメスのデザイナーにも抜擢されますが、2011年春夏コレクションを最後にエルメスのレディースプレタポルテのアースティック・ディレクターを退任。
2010年秋冬コレクションよりメンズウェアのコレクションライン「Jean Paul GAULTIER monsieur」を発表しています。

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