転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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20年代初頭のファッションの王様

女性のコルセットを解放したデザインをしたことで、女性解放者と称されるデザイナーが、ポール ポワレです。
パリ生まれのポール ポワレは、ジャック ドゥーゼのメゾンで働いたあと、1901年からオートクチュールの創始者であるウォルトのメゾンに入ります。そこでは相当、ファッション観の問題で苦悩したといわれています。

ポール ポワレが独立したのは、その2年後の1903年。自身の名を冠した「ポール ポワレ(Paul Poiret)」を設立します。
1906年、ハイウェストのドレスを発表します。これは「ローラ・モンテス」というドレスで、それまで女性の腰をしめつけてきたコルセットを追放した革新的なアイテム。女性たちもコルセットのストレスから解放され、ファッション史上最も画期的な発表であったといわれています。

1911年、動きやすさを追求した「キュロット・スカート」を発表。
これだけでも革命的な発表でしたが、その後もホップル・スカートなどを発表し、ファッション業界に次々と革命をもたらしていきました。

ポール ポワレは、デザインだけでなく、ビジネス面においても優秀だったといわれています。通常より安い価格で販売でき、多くの人が買うことのできる仕組み作りを心掛けたといいます。これが、現代のファッション業界の先駆けといっても過言ではないでしょう。

現代では、ケンゾーやアレキサンダー マックイーンなどがエスニックなどの要素を取り入れたファッションを発表していますが、誰よりも早くそのような要素をデザインに盛り込んだのは、ポワレだといわれています。
表現の違いはあれ、インドや中国の要素を取り入れたり、西洋絵画や古典的なファッションを取り入れたりと、全く新しいデザインを展開していました。裾あがりのチュニック「ソルベ」などがその代表的アイテムです。

また、クチュールのメゾンでは初めて香水を発表したのも、ポール ポワレです。
その後、工芸学校を設立し、モードの普及に尽力します。しかしシャネルらの新鋭デザイナーの流れについていけず、メゾンは衰退し、ついに幕を下ろすこととなります。ポール ポワレは、1944年、パリにて死去。
現代では多くのデザイナーに尊敬され、影響を与えた偉大なデザイナーとして知られています。

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美しい衣装が特徴の、フランス発ブランド

幼くしてスーツの仕立てを習得し、ファッション業界を志していたのが、フランス生まれのエマニュエル ウンガロです。
エマニュエル ウンガロは、1933年、フランス南部のブーシュ=デュ・ローヌ県エクス・アン・プロヴァンスに生まれます。
父はフランスで小さな紳士服店を営んでおり、この頃からウンガロはスーツの仕立てを習得していたのです。

1957年、パリに移り翌年からクレージュの推薦によりバレンシアガのアシスタントとして働き始めます。ウンガロにとって、バレンシアガとの出会いは衝撃的でした。バレンシアガの偉大さ、厳格さは多いにウンガロに影響を与えたといわれています。

1965年、独立してブランド「エマニュエル ウンガロ」を設立。彼の衣装は非常に美しいことが特徴です。同年、当時の恋人だったソニア・ナップとともに会社を立ち上げます。

90年、50歳の時に、イタリアの国営テレビ局の会長を父にもつラウラ・ファファーニと結婚。96 年、サルヴァトーレ フェラガモ社にブランドを売却します。
フェラガモは国際的な販売網とマーケティングを強みにしており、ウンガロの美しい衣装を融合させたもので、友好的な買収であったといわれています。

2002年春夏からウンガロのデザインチームで活躍していたジャンバティスタヴァリがデザイナーに就任。ウンガロのデザインを受け継ぎ、そこに若さとエネルギーを融合させたデザインで活躍しました。
その後ヴァリは独立し、2006年秋冬からはノルウェー出身のアメリカ人デザイナー、ピーター デュンダスがデザイナーを引き継ぎ、3シーズン務めました。

2008年、23歳の若さでエステバン・コータザーがエマニュエル ウンガロのレディースコレクションのチーフデザイナーに就任します。しかし翌年、辞任。同年にリンジー・ローハンがアーティスティック・アドバイザーとして就任するも、後に辞任してしまっています。

2010年には、クリエイティブ・ディレクターにジャイルズ・ディーコンが就任することが発表されました。

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母の愛がたっぷりとつまったフランスブランド

2人の息子の名前をブランド名にした、愛情たっぷりのブランド「ポール&ジョー(PAUL & JOE)」。母でデザイナーであるソフィー メシャリーは、ブランドを立ち上げることで息子たちと一緒に過ごす時間が減ってしまうことを悲しみ、心はいつでも一緒であることを伝えるため、このようなブランド名にしたようです。
ソフィー メシャリーは、1967年、フランスのパリに生まれます。両親は高級シャツブランドである「ル・ガラージュ」を経営していたことで、幼い頃からファッションに触れて育ってきました。
パリ大学で経済経営学を専攻し、卒業した後、アズディン アライアの元で研修生として働きます。
1年間、ファッションの専門学校で技術を学んでからは、両親の経営する店「ル・ガラージュ」に入社。26歳で念願のデザイナーも務めますが、店は閉鎖。
それをきっかけに、自分の創造力を自由に発揮できるようなブランドをつくろう、と独立を決意しました。

95年に独立し、メンズブランドである「ポール&ジョー(PAUL & JOE)」を立ち上げます。当時、息子のボールとジョーは1歳と4歳でした。
97年には、世間からのニーズがあると判断し、レディースウェアを発表。コスメティックラインもスタートさせます。

ソフィーが優れていたのはデザインだけではありません。生地の選択や工場との価格交渉など、デザインだけでなく優秀な営業マンとしての実力も発揮していました。また、大学で経営学を学んだこともあり、「経営面をしっかりしないと先には進めない」とコメントしています。その一環として、自らが店にたち、客の反応を見ることや、意見を聞くことも欠かせません。
2005年、子ども服のラインを発表。
2008年、ディズニーとのコスメシリーズを発表。パッケージに懐かしいディズニーキャラクターが登場する限定アイテムとして発売されました。
2009年、シチズンズオブヒューマティとコラボしてデニムを発表。
そして2012年には、銀座に旗艦店をオープンさせました。

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