転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ

ルーズではない「自由」を追求したフランスのブランド

衣類、アクセサリー、香水、化粧品などを展開しているフランスのブランド「ジバンシィ」。初コレクションから、斬新なアイディアと洗練された感性で注目を集め、「モードの神童」と呼ばれたブランドです。
ジバンシィのデザインの特徴は、シャープでやわらか。ルーズではない自由なラインを常に追求し、当時の女性のファッションに革命を巻き起こしてきました。

ブランドは、1927年フランス生まれのユベール・ド・ジバンシィにより立ち上げられました。
24歳の時に初のコレクションを発表しますが、当時は資金面に難があり、コットン素材のシンプルなドレスなどを発表。その中で話題を呼んだのが、シャツ地で作った「ベッティーナ・ブラウス」です。
そして52年に、ジバンシィ社を創立します。
ジバンシィというと、オードリー・ヘップバーンを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。ジバンシィがオードリー主演映画「麗しのサブリナ」の衣装を手がけてのは、創立から2年後の54年です。この映画の衣装では、女性の体のラインを強調しない、自由なスタイルを発表しています。オードリー・ヘップバーンは、ジバンシィの象徴ともいえるでしょう。他にも、「おしゃれ泥棒」「シャレード」「ティファニーで朝食を」などの映画でもジバンシィによる衣装を着用しています。

翌年、「自由なライン」として、ウエストもヒップもないシュミーズドレスを発表。このドレスが女性たちの間で「革命的」だといわれ、大きな反響を呼びました。

ジバンシィの顧客として、オードリー・ヘップバーンのほかにはグリマルディ家やケネディ家が有名です。ケネディ家の女性たちが、ジョン・F・ケネディの葬儀において、ジバンシィの喪服を着ていたことも有名な話です。
2008年にマドンナがワールドツアーにてジバンシィのドレスを着用したことでも話題になりました。
ジバンシィは衣類だけでなく、香水やメンズラインを発表し、活躍の場を広げていきます。72年には男性用化粧品も発表しています。

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斬新なデザインで、世界に影響を与えた日本のブランド

服のデザインに、歪みやねじれ、アシンメトリーなど大胆な手法を取り入れているブランドが、「コムデギャルソン」です。生地をあえてぼろぼろにしたり、わざと穴を開けるなどの試みは特に印象深く、初のパリコレクションでは「乞食ルック」と評されるほど。
ブランド名はフランス語で「少年のように」という意味で、ブランドが立ち上げられた頃が最もストレートにそのコンセプトが表現されていたといえます。

コムデギャルソンは、日本のファッションデザイナー川久保玲が1973年に設立したブランドで、78年にはメンズラインである「コムデギャルソンオム」をスタート。
コムデギャルソンのイメージとして定着しているのは、1980年代前半のコレクションで、白と黒を中心としたモノトーンのものであり、それまでのファッションの常識を覆すものであったといわれています。従来の女性らしさの中にルーズさやモノトーンを取り入れることで、自立した孤高の女性スタイルを確立させることに成功しました。
この頃一部から熱狂的な支持を得て、コムデギャルソンの黒服におかっぱ頭が流行し、「カラス族」と呼ばれるスタイルを生み出しました。
黒が世界的に受け入れられるようになると、今度は赤などのカラフルな色を前面に取り入れ始めますが、他ブランドとは違う独自のファッションを展開していきます。

デザイナーの川久保玲は1942年生まれ。慶應大学卒で旭化成に入社し、繊維宣伝部でスタイリストを経験します。その後フリーの活動を経て、コムデギャルソンを設立します。
日本で成功を収めてからパリを中心にコレクションを展開。最初のコレクションでは、斬新なデザインに賛否両論あり批判も受けますが、クラシカルかつ斬新なスタイルが徐々に受け入れられるようになっていきました。
こうして、当時パートナーだった山本耀司とともに黒を主体とした、コムデギャルソンならではの独特な世界観を世に送り出し続けてきました。
80年代に国内外で地位を確立し、先進的な試みは世界的に高い評価を得、今や日本を代表するブランドの一つとしてみなされています。世界でもっとも影響力のあるデザイナーランキングでは、川久保玲はトップ5の常連となっています。

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プリーツが有名!「一枚の布」にこだわるブランド

プリーツが有名な日本人デザイナーのブランドが、「イッセイミヤケ」です。
イッセイミヤケのプリーツは世界を驚かせた独自のもので、生地を裁断してから仕立てるのではなく、服の形を先に縫製してからプリーツの加工を行うことで、独特な美しいシルエットをつくりだすことに成功しました。これを応用した技術が現在も受け継がれています。

イッセイミヤケは、1970年に三宅一生がデザイン事務所を設立し、翌年「ISSEY MIYAKE」としてミューヨークでコレクションを発表したことで始まりました。
三宅一生は1938年広島生まれのファッションデザイナーで、7歳のときには広島の原子爆弾投下を経験しています。同じく被爆した母を3年経たないうちに亡くしており、「破壊されてしまうものではなく、創造的で美しさや喜びをもたらす」ものを考え続け、ファッションデザイナーを志すようになったといわれています。
幼少期から目を見張るほどの美的センスを持ち合わせていた三宅は、多摩美術大学図案科在学中からデザインにおいて受賞を重ねており、衣服をファッションとしてではなく、デザインとして捉える視点に注目を集めていました。

1963年、第1回コレクションで「布と石の詩」を発表してから、パリに渡り修行を積みます。
そして1970年に東京に戻り、イッセイミヤケが誕生しました。

三宅のデザインは、創業したときから一貫して「一枚の布」という考え方に基づいています。この考えから、1本の糸の質からこだわり、オリジナルの素材を開発しながら服づくりが行われています。
三宅が発表する服は、西洋とも東洋とも分類し難い全く新しいもので、衣類の原点である一枚の布で心地よく身体を包む着心地と機能性、デザイン性の豊かさに大変長けています。

プリーツへの取り組みをスタートさせたのは、1988年。93年に発表された「プリーツプリーズ」ブランドでは、裁断・縫製後にプリーツをかける手法を用いて機能性と美しさを兼ね備えた服を展開し、現在でも世界中で愛用されています。

イッセイミヤケのショップの特徴は、販売員の接客が大変丁寧なことで、ブランドのこだわりなどを熱心に説明してくれます。

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