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ファッション業界大3校の一つ「セントマーチンズ」
ファッションの歴史を知る上で、是非知っておきたい学校があります。「ファッションを本格的に勉強したい」「本場ロンドンのファッションを学びたい」そんな方も、是非チェックしておきましょう。
ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミー、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブデザインと並び、ファッション業界で世界3大校の一つと呼ばれているのが、ロンドンの「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」です。通称、「セントマーチンズ」。
ロンドン芸術大学には、いくつかの学校があり、セントマーチンズはそのうちの一つ。写真、映画、映像、美術、ファッションなどを教えています。
セントマーチンズはロンドンの中心、トラファルガー広場の近くにあります。映画・グラフィックなど7つのコースがあり、ファッション業界でセントマーチンズといえば、「ファッション&テキスタイル」コース。
セントマーチンズは世界的に有名なデザイナーを何人も輩出してきた伝統校として知られ、競争率が高い、デザイナーを志す世界中の若者たちの憧れの学校。特に脚光を浴びたのが1995年。ファッション界にロンドン旋風が起こり、ジョン・ガリアーノがジバンシーのデザイナーに大抜擢されたことから始まりました。
その後も、卒業生が次々に脚光を浴びるようになり、セントマーチンズは世界的デザイナーを輩出する学校としてその存在感を確立していきます。
セントマーチンズを卒業している日本人には、岡田幸子(BLAAK)、勝井北斗・八木奈央(ミントデザインズ)、岸本若子(イーリー・キシモト)、古舘郁(コムーン)、吉田真実(ヤブヤム)がいます。
コムーンの古舘郁は、セントマーチンズの卒業コレクションでイエール国際フェスティバルにて入賞。これは、日本人初の快挙となりました。
他、主なセントマーチンズ出身デザイナーは以下の通り。
アーロン・シャリフ (BLAAK)
アレキサンダー・マックイーン
ヴェロニカ・エトロ (エトロ)
クリストファー・ケイン
イナシオ・リベイロ (クレメンツ リベイロ)
キム・ジョーンズ
キャサリン・ハムネット
クレア・ワイト・ケラー
ザック・ポーゼン
スザンヌ・クレメンツ (クレメンツ リベイロ)
スチュワート・ストックデイル
ステラ・マッカートニー
ジャン・バティスタ・ヴァリ
ジョー・ケイスリー・ヘイフォード
ジョナサンサンダース
ジョン・ガリアーノ
ジャイルズディーコン (ジャイルズ)
ソフィアココサラキ
ソフィア・マリア・プランテラ (サイラス)
ニール・バレット
パトリック・ライアン (ヤブヤム)
フィビー・フィロ
フセイン・チャラヤン
マシュー・ウィリアムソン
リカルドティッシ
ルエラ・バートリー (ルエラ)
ルッツ・ヒュエル (ルッツ)
20世紀のファッション業界をリードした、モードの帝王
- 2013-02-01 (金)
- ブランド紹介
フランスが誇る世界的なファッションブランドの一つ、「イヴ・サンローラン」。
ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、ポール・ポワレらとともに20世紀のファッション業界をリードし、「モードの帝王」と呼ばれています。
イヴ・サンローランは、1936年、アルジェリアのオランで生まれました。
17歳の時にパリオートクチュール組合経営の学校に入学し、3ヶ月のコースが修了する頃、国際羊毛事務局主催のデザインコンクールでカクテルドレスを発表し、ドレス部門最優秀賞を受賞。
この受賞がきっかけで、54年にクリスチャン・ディオールに迎えられ、クリスチャン・ディオールが死去した57年に、21歳の若さで後継デザイナーに就任。
クリスチャン・ディオール死後初となるコレクション、「トラペーズライン」でニーマン・マーカス賞を受賞します。
しかし、60年秋冬コレクションで発表した「ビートライン」はストリート感覚のスタイルをテーマにしたことで、エレガンスさがないと酷評を受けます。同年アルジェリア戦争に徴兵されたことを機に、ディオールを解雇されました。
62年、ブランド「イヴ・サンローラン」を設立。
バレンシアガを意識したニューモードが好評を呼び、60年代を代表する新しいスタイルを次々と発表していきます。
特に有名なのが、66年に発表された、男性用のタキシードを女性用にアレンジしたスモーキン・タキシードです。
85年、レジヨン・ドヌール勲章を、93年にデ・ドール賞を受賞します。
93年、サノフィ・ボーテ社に買収。
98年、ジーンズライン「サンローラン」を発表。
99年秋冬コレクションからレディースラインをアルベール・エルバスに任せ、サンローラン本人はオートクチュールにのみ専念するようになります。
99年、ピノー・プランタン・ルドゥート社のオーナー、フランソワ・ピノーがサノフィ社を買収し、レディース部門と香水部門が傘下のグッチ社に売却されますが、サンローラン本人と、オートクチュール部門は、ピノー・プランタン・ルドゥート傘下に残ります。
サンローラン本人は、2002年のパリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退。
これに伴ってオートクチュール部門は閉鎖し、レディースの「リヴ・ゴーシュ」のみの展開となります。
2007 年、イヴ・サンローランはその長年の功績を讃えられ、フランス大統領サルコジからレジオン・ドヌール勲章グラントフィシエを受賞。
翌年、サンローランが死去。
2012年、エディ・スリマンがイヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任します。
働く女性に人気!アメリカの代表的なバッグブランド
- 2013-01-22 (火)
- ブランド紹介
実用性が高く、洗練されたデザインで注目を集める、今やアメリカの代表的ブランドの一つとなった、ケイト・スペード。
ブランド設立者であるケイトは、アメリカのカンザス州生まれ。アリゾナ州立大学でジャーナリズムを学びます。卒業後に、バッグが好きなことから、ニューヨークに拠点を置くマドモアゼル誌のアクセサリー担当エディターとして就職。
編集者として働いていくうちに、「スタイリッシュで洗練されたバッグがない」ということに不満を持ち始めます。
そんな時に、同じ大学出身で、卒業後に付き合い始めたパートナー、アンディ・スペードから「そんなにバッグが好きなら、バッグをつくる会社をつくってはどうか」と提案されます。当時、彼は紳士服の販売員をしていました。
この言葉がきっかけとなり、ケイトは91年に会社をやめ、退職後はバッグのブランドを設立するために、素材や流行など様々なリサーチを行っていきます。
93年、バッグのブランド「ケイト・スペード」を設立。
ブランド名は、ケイトのファーストネームと、アンディのラストネームを組み合わせたもので、ケイトの旧姓は「スペード」ではありません。
編集者をしていたことから、女性が求める実用性やデザインを熟知しており、ケイト・スペードのバッグはまたたく間に人気ブランドとなり、1996年にCFDAアクセサリー部門で新人賞を受賞。同年には、ニューヨークのソーホーに初のショップをオープンします。
98年、CFDAアクセサリーデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ボストンに2店舗のショップをオープン。その後も全米各地に新店舗を展開していきます。
その後はバッグだけでなく、スカーフ、レインコート、手袋、シューズ、アイウェア、コスメなど徐々にラインを拡大していきます。
99年には、夫のアンディがデザイナーを手掛けるメンズライン「ジャック・スペード」もスタート。
同年、百貨店「ニーマン・マーカス」の傘下に入ります。
2004年4月青山に旗艦店をオープン。
2006年に、ソニースタイルのコラボ商品としてPC用のトートバッグを発売しますが、パソコン用とは思えないほどオシャレで可愛いことで話題を呼びました。
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