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サファリ・スーツで一躍有名ブランドとなった「フレンチクチュール詩人」

ファッション性と快適性を同時に追求したことで高く評価されているのが、パリで生まれたレーベル及びデザイナー「Ted Lapidus(テッド・ラピドス)」です。

テッド・ラピドスは、ミリタリースタイルを打ち出したデザイナーです。また、世界で初めてショールカラーのニットカーディガンやジャケットを発表したことや、オートクチュールにジーンズを取り入れた初期のデザイナーの一人でもあります。最もテッド・ラピドスの名を世に広めたのが、サファリ・スーツです。サファリ・スーツは大変人気を呼び、60年代から70年代のファッションシーンのアイコンとなりました。

ユニセックスなコレクションを持ちこんだことでも有名。「フレンチクチュール詩人」とも表現され、顧客にはビートルズ、ジーン・セバーグ、ブリジット・バルドーなどの大物が名を連ねています。

テッド・ラピドスは、1929年、パリに生まれます。ロシア系移民の家族であり、父親はテーラーを営んでいました。妹のローズはフランスのブランド「トラント」の創業者であり、ファッションに携わる一族だといえます。

テッドは、15歳で純粋哲学に心奪われ、のち一転してパリ大学医学部に進学します。しかし、第二次大戦の際、服のデザイン活動を行ったことがきっかけで、ファッションの道を志すようになります。在学中にモンテーニュ街のクラブ・ド・パリの一隅にモード店をオープン。

戦後、東京にわたり生産管理に関して学び、49年にはクリスチャン・ディオールに入社します。

51年、パリにて自身のレーベルを設立し、57年には自身の名を冠したメゾン「テッド・ラピドス」を設立。

80年代には、ブランドはテッド・ラピドスの息子である、オリヴィエが引き継ぎます。

2008年、12月29日、呼吸不全のためフランスのカンヌの病院で死去。享年、79歳でした。

テッド・ラピドスの作品は、テーラードスーツなどのかっちりとした服作りに定評があり、現在は紳士服を含めた既成服部門に力を入れています。

ルイ・ヴィトンの成長に大きく貢献したデザイナーのブランド

ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターを担当し、ブランドの飛躍に大きく貢献したデザイナーが、「MARC JACOBS(マーク・ジェイコブス)」です。彼はまた自身の名を冠したブランドで、1986年にコレクションデビューを果たしています。

マーク・ジェイコブスは1963年、アメリカニューヨークに生まれました。

81年に、パーソンズに入学し、在学中から様々な賞を受賞。自身で作ったセーターなどをブティックに売るなどして活躍していました。

84年、現在社長を務めているロバート・ダフィとパートナーシップを組み、ジェイコブス・ダフィ・デザイン社を設立します。

マーク・ジェイコブスは、コレクションデビューをした翌年、CFDAの新人デザイナー賞を最年少で受賞。そしてウィメンズ・デザイナー・オブ・ジ・イヤーを二度受賞しています。

88年にパーソンズを卒業してから、ダフィとともにペリーエリスに入り、若くしてペリーエリスの後継者となります。

ペリーエリスにて、素材を活かしたレイヤードデザイン「グランジ・コレクション」を発表。好評を博したものの、ペリーエリスの顧客は保守的であり、マーク・ジェイコブスのデザインは受け入れられず、契約中に解雇されることに。

96年、セカンドラインである「マーク・ジェイコブス・ルック」をスタート。

97年、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターに抜擢。ルイ・ヴィトンが一流のブランドに成長するまでに大きく貢献し、売上も大幅に増加しました。

村上隆とコラボレーションしたバッグでは、伝統とモダンアートの融合に成功。日本国内でも大きな話題となりました。

2001年、「マークBYマーク・ジェイコブス」をスタート。ルイ・ヴィトンの親会社であるLVMHが資本参加したことで、マーク・ジェイコブスのブランドも世界的に拡大します。

日本では、2007年に原宿店、2011年に青山に店舗を構えています。

マーク・ジェイコブスのブランドとしては赤字が20年続いたといわれていますが、苦しい時には日本のルックなどが資金を出資したようです。

世界で最も認識されているデザイナーアパレルグループ

香港をはじめとするメンズのスポーツウェアブランドとして有名になったのが、「トミーヒルフィガー(TOMMY HILFIGER)」です。

トミー・ヒルフィガーが自身の名を冠したブランドで、本人のフルネームは、トミー・トーマス・ジェイコブ・ヒルフィガー。

ヒルフィガーは、1951年、ニューヨーク郊外のエルミラで生まれました。ドイツ人とアイルランド人の血筋を引き、両親はカトリック教徒。兄弟9人の大家族の中で育ちます。

ヒルフィガーがアパレルと出会ったのは、高校時代。

二人の友人と150ドルの資金をもとに20本のジーンズを売ったことが始まりです。その後69年にニューヨークで「ピープルズパレス」というショップをオープン。しかし、その7年後、ヒルフィガーが25歳の時に倒産してしまいます。

彼は、人々が求める服を調達することは難しいと考え、自らがデザイナーになることを決意。独学でファッションについて学び、79年にフリーデザイナーとして活動を始めました。

84年、自らの名を冠した「トミーヒルフィガー」を設立。

翌年コレクションを発表し、メンズのスポーツウェアブランドとして世界に名を広げました。

92年には会社を上場。その後徐々に拡大していきます。

95年、CFDAのメンズデザイナーオブザイヤー受賞。

ヒルフィガーはポップアートやポップカルチャーからデザイナーのインスピレーションを受けているといい、マリリン・モンローやアンディー・ウォーホルなどからも影響を受けているそうです。

2004年、東京都内一の品ぞろえを誇るトミーヒルフィガー渋谷店が、ココチにオープン。

2005年、投資会社のアパックス・パートナーズに対して身売りすることで合意。約1800億円でブランドを売りますが、2010年、米国のフィリップス・ヴァン・ヒューゼがトミーヒルフィガーを30億ドルの現金と株式で取得します。

2002年よりレディースウエア「トミーガール」を展開。

現在では、メンズウェア、子ども服、デニムを中心に展開しており、トミーヒルフィガーグループは、世界の中でも知名度の高いデザイナーアパレルグループに成長しました。

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