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マカロン発祥のお店から飛び出したコスメブランド「レ・メルベイユーズ ラデュレ」
- 2013-11-29 (金)
- ブランド紹介
洋菓子の定番として日本全国でも知名度が高いお菓子「マカロン」。
フランスのお菓子であるマカロンには色々な種類があり、古くからの歴史を持つ伝統的なお菓子なのです。
一番古いマカロンはロワーヌ地方のコルムリー修道院が791年から現在に至るまで作られているもので、ほかにもサン=ジャン=ド=リュズにも銘菓のマカロンが存在します。
日本で一般的に知られているマカロンが「パリ風マカロン」とよばれるもので、1862年にルイ=エルネスト・ラデュレが創業した老舗パティスリーブランド「ラデュレ」が1930年に2枚のマカロンにクリーム・ジャムなどを挟んで販売したことがきっかけとなっています。作ったのはラデュレの従弟で経営者のピエール・デフォンティーヌ。
通常「おやき」サイズのマカロンですが、日本ではマカロン生地を小さく絞り焼いたものが売られており、販売するお店によって生地や中に挟む素材も、バニラ・チョコレート・コーヒー・ガナッシュ・ジャム・ピスタチオ・アーモンドなど様々。お土産としても人気があるお菓子です。
この有名なお菓子「マカロン」を生み出した有名洋菓子店「ラデュレ」が、2012年に新コスメティックブランド「レ・メルベイユーズ ラデュレ」を立ち上げたのです。しかも、世界第一号店は東京「銀座三越」にオープンしました。
レ・メルベイユーズ ラデュレの公式ホームページによると「圧倒的に五感を刺激し、女性を本能的に魅了するものでなければ真に美しいとは言えない」というラデュレの美学が継承され、伝統と革新を見事に融合したコスメティクスを作っています。
有名なコスメとしては、美術工芸品の様なポットに入れられたバラのチーク「フェイスカラーローズラデュレ」、卵形のポットに入れられたクリームチークベースの「フェイスカラーローズラデュレミニ」、カメオをモチーフにした20種類とバリエーションが多くそろえられた「プレストチークカラー」、フフェイスカラーローズラデュレのようなポットに入れられた「フェイスパウダー」など、容器にこだわりを見せたコスメがあります。
これ以外にも「トランスルーセントメイクアップベース」「スティックコンシーラ」「フルイドファンデーション」「ルージュ」「ハンドミラー」などがそろえられています。
ラデュレのお菓子の世界観をそのままコスメに生かした、女性なら気に入るコスメブランドです。
スウェーデン発のファッションブランド「ACNE(アクネ)」
- 2013-11-22 (金)
- ブランド紹介
スウェーデンには「H&M」をはじめ、世界的に知られているファッションブランドがたくさんあります。
今回紹介する「ACNE(アクネ)」もスウェーデン発の人気ファッションブランドの一つ。
1996年に事業がスタートしたアクネは、同ブランドのファッションハウス「ACNE STUDIOS(アクネ ストゥディオズ)」を事業母体としてスタートしました。
スタート当初は、製品広告やグラフィックデザイン、ゲームなどに関わる一方で、男女共用のジーンズ製作なども行い雑誌に掲載されることで人気を博します。このジーンズ製作が1998年、ジョニー・ヨハンソンの「アクネジーンズ」発表に繋がります。
現在でも発表当初のデニムやジーンズは人気を誇っています。日本産の生地を利用したコレクションやシルエットの展開を行い、商品はハンドメイドで作られています。特に人気なのは「スキニー」と呼ばれる足にフィットしたタイプのジーンズ。
ジーンズ・デニム以外にも、アクネストゥディオズでは男性服・女性服・子供服・シューズ・アクセサリーなどをトータルで販売しています。
2005年からは「アクネペーパー」と呼ばれる雑誌を発刊するなど専門の出版部門も設立され、有名ライターのポートレートやダンサーのポートレートなど、写真を中心とした雑誌になっています。
2008年には、アクネジーンズとアルベール・エルバス(イスラエルのファッションデザイナー)がクリエイティブディレクターを務める「ランバン」とのコラボで、デニムコレクションの発表なども行っています。
アクネのスタート当初は、本拠地でもあるスウェーデン中心で展開していましたが、アメリカはニューヨーク、フランスはパリ、イギリスはロンドンと世界50ヶ国以上の国々旗艦店を出店し、2012年には日本の東京南青山に、アジア発出店となる旗艦店「ACNE STUDIOS AOYAMA」をオープンさせました。
東京南青山への出店を皮切りに、2013年5月31日には大阪・心斎橋に路面店を出店させ、本格上陸を果たしました。
ボディコンシャス・モードの創始者が設立「アズディンアライア」
- 2013-11-20 (水)
- ブランド紹介
ボディコンシャス・モードと言われると、いまいちピンときませんが「ボディコン」と言うとイメージが湧きますね。
今回は「ボディコンシャス・モード」の創始者と言われる「アズディン・アライア」が1979年に設立したシグネイチャーブランド「アズディンアライア」をご紹介します。
アズディン・アライアがボディコンシャス・モードを発表したのは1981年のミラノコレクション。当時発表されたものは、身体のラインに沿ったデザインのドレスで「ボディ・コンシャス」スタイルと呼ばれていました。
これまでは、造形を主とし洋服が作られていましたが、アズディン・アライアは女性の体に服がフィットする「裸体」を主とし、素材にストレッチ素材を使うことでボディラインをより際立たせ強調させる「ボディコンシャス・スーツ」を発表したのです。
1980年のコレクション発表は日本でも流行を巻き起こし、ボディ・コンシャスとは呼ばず、略して「ボディコン」と呼ばれ、数々のDCブランドからもボディコンファッションを生み出します。
デザインのコンセプト自体は女性の自己主張や解放を目的としたファッションとして発表されましたが、日本では一般的に「遊び着」として流行し、1980年代のバブル時期にボディコン全盛を迎えます。
ボディコン全盛の時代の中で、特に一般の人々の目にも触れるキッカケになったのが、派手な扇子(ジュリ扇)やハウス・ハードコアテクノなどの音楽で踊る東京芝浦の「ジュリアナ東京」です。この時期には、テレビでの露出も多くタレントが同じファッションをしている事もあり全国的に知名度を高め、今ではバブル期のファッションの代名詞としても語られます。ちなみに、この時期には既に「コギャル」という言葉がディスコ内で使われていたようです(意味合い的には童顔のギャルと、後から使われるコギャルとは意味が違います)。
ただ、1994年のジュリアナ東京閉店をキッカケにボディコンは廃れ、少し前までは「ダサい」ファッションと思われていましたが、ファッションの人気はまた巡ってくるもの。約20年間ほとんど姿を見せなかったファッションが、今年2013年になって流行の兆しを見せ、メンズでは肩からセーターを掛けて胸元で結ぶ「プロデューサー巻き」や小脇に抱えるセカンドバックが、女性ではボディコンのシルエットを持ったミニスカートを身に着けている人が多くなってきているようです。
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