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15歳で自身のレーベルを立ち上げた「アイザックミズラヒ」

「アイザックミズラヒ(Isaac Mizrahi)」は、アメリカに拠点を置くファッションブランドです。

アイザック・ミズラヒは1961年にアメリカ・ニューヨークの裕福なユダヤ人の家系に生まれ、10歳のときに彼の父親にミシンをプレゼントされた事をキッカケにファッションキャリアをスタートさせます。

その5年後、15歳のときにニューヨークの家族や友人の助けを借りて彼自身のレーベルを立ち上げます。

パーソンズを卒業後は、ペリー・エリスやカルバン・クラインの下で経験を積み、1987年にニューヨークのデパートで開催されたショーで最初のコレクションを発表。1988年にソーホーにアトリエをオープンさせ自分の名を冠したブランド「アイザックミズラヒ」を設立します。

その後1年ごとにペリーエリス賞・ベストデザイナー賞・ウールマーク賞といった有名な賞を次々に受賞。

また、90年代以来ミズラヒは様々なテレビ番組や映画に出演、特にファッション業界をテーマにし、半年間に渡ってアイザックミズラヒを追ったドキュメンタリー「アンジップト」が公開され観客賞を受賞。同年にシャネルからの出資を受け「アイザック」というセカンドラインの発表も行っています。

ただ、アイデアとクリエイティブなデザインで高い評価を得る一方、デザイン性が強すぎ実用性に欠け財政難を引き起こし経営危機を向かえ1998年にブランドを閉鎖。

その後、彼は自身の才能を発揮しメディアに多く出演し2006年にゴールデングローブ賞を受賞します。そして2010年には「ISaacMizrahiLIVE」と呼ばれるブランドを立ち上げます。

2011年には、IsaaxMizrahiLiveは継続するもののエクセルブランド社にブランドを売却。

2012年8月の時点でフットウェアやデニム、ミズラヒ初となるフレグランスの販売を手がけます。その後もエクセルブランド社のクリエイティブディレクターを務める傍ら、メディア露出も行っており、テレビ司会者とファッションデザイナーという二刀流で活躍しています。

デストロイ・コレクションなどで有名「メゾン マルタン マルジェラ」

「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」は、マルタン・マルジェラによって設立されたフランスのファッションブランドです。

取り扱う商品は、レディースウェアをはじめ、メンズウェア・シューズ・アクセサリー・フレグランスなどなど。幅広く手がけています。

1957年にベルギーで生まれたマルタン・マルジェラは、王立芸術アカデミー(アントワープ)に入学、同期には前衛ファッション集団のアントワープシックスもいました。

アントワープを卒業後の5年間をフリーランスのデザイナーとして働きましたが、1984年にジャンポール・ゴルチエのショーに影響を受け、1985年~87年までの間、ゴルチエの元で修行を積みます。

1989年にフランスで自分のブランドとなる「メゾン マルタン マルジェラ」を設立し、翌年1989年の春夏プレタポルテ・コレクションで初デビューを飾ります。

彼のデザインは今までの流行とは異なり、細身のジャケットやボトムなどボディラインがわかるシルエットで服を制作。衣服の脱構築や解体、ショーのスタイルの手法は全てを覆し、ファッション業界に大きな影響を与えました。違った視点からの服作りを得意としており、服の生地に古着を使ったり、服をわざと古着風に加工をしたりといったスタイルも提案。グランジファッションの先駆けとも言われます。

マルタンマルジェラのデザインした服のラベルは、空白、または○で囲まれた数字のみが書かれ、ブランド名やデザイナーであるマルタン・マルジェラの名前はかかれることがありません。全て数字で管理されています。

また、彼はメディアに露出しないことでも有名。自分の思いなどはすべて作品や服に詰め込み、メディアとの接触は全てファックスで取り扱われ、ショーでもプロモデルはほとんど使わず一般から起用しています。

1997年から2003年にはエルメスの女性ラインのクリエイティブディレクターも務めています。

2002年にレンツォ・ロッソのグループ企業からの出資を受けて世界中に店舗を展開、しかし2009年10月にレンツォ・ロッソよりマルタンマルジェラはメゾンのデザインに関わっておらず、デザインチームが引き続きデザインを行っている」と発表。

2009年12月にDrapersから「Martin Margiela exits Margiela(マルタン・マルジェラはマルジェラを終了)」、ビジネスを残しているもののクリエイティブディレクターには任命されない、と報道されました。

アメリカを代表するドレスブランド「キャロライナ ヘレラ

アメリカを代表するドレスブランドとして外せないのがニューヨークを拠点に活動する「キャロリーナ ヘレラ」です。

ジョン・F・ケネディ大統領のファーストレディ「ジャクリーン」もキャロライナ ヘレラのドレスを支持するなど、セレブやハリウッドスターの顧客も多く人気です。その人気の高さは、レニー・ゼルウィガーがアカデミー賞でドレスを着用したことからも明らかです。

では創業者とブランドの歴史を見ていきましょう。

キャロライナ・ヘレラ(Carolina Herrera)は1939年1月8日にヴェネズエラに生を受け、12歳の時に渡米。

社交界で有名になった彼女は、ファッションデザイナーとしてのキャリアをスタートさせるまでに、10年間連続で「インターナショナル・ベストドレッサー」にランクインするといった経歴を持っています。

1980年からニューヨークを拠点に自身の名を冠するブランド「キャロライナ ヘレラ」を設立しデザイナーとしてのキャリアをスタート。同ブランドの顧客には前述したジャクリーン・ケネディ・オナシスをはじめ、かの嬢の娘や公爵夫人ダイアナ・デ・メロ、女優のレニー・ゼルウィガーなど早々たるメンバーがいます。

輝かしい経歴を誇り、美のエキスパートでもある彼女の作ったドレスはエレガンスかつセクシーさ感じさせると定評を受けています。

2008年にはキャロライナヘレラの長年のファッション業界への功績から、アメリカファッションデザイナー協会からライフタイムアチーブメント賞を受賞するなどデザイナーとしても成功しました。

同年、CH キャロライナヘレラと呼ばれる既製服のブランドを立上げ、2012年には同ブランドのラインが世界108ヶ国、280店舗にまで広がっています。

2011年には、ヘレラの娘でもあるキャロライナ・ジュニアやパトリシアランシングがクリエイティブディレクターとして参加するなど、母娘でファッションの世界で活躍いています。

ちなみに、1980年代後半にはフレグランスも発表。ヘレラが作ったフレグランス「CHロー」「212 VIP」「212メン」「212」などは発売以来世界中で人気を博し、さらにグラマラスさを兼備えた「CHIC(シック)」というフレグランスは女性に人気で、今でも販売されています。

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