アパレル - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

ホーム > タグ > アパレル

アパレル

世界最大級のヘッドウェアブランド「ニューエラキャップ」

今回は、世界最大級のヘッドウェアブランドとも名高い「ニュー エラ キャップ(New Era Cap)」をご紹介致します。

「ニュー エラ キャップ(New Era Cap)」は、アメリカのメジャーリーグ唯一となる公式キャップメーカーで、1920年にエルハルド・クックがEクック・キャップ社を設立したことから始まりました。

この際、エルハルド・クックは姉のローズより500ドル、ジョン・ミラー・キャップ社の同僚でも会ったジョー・アメリエンからも500ドルの合わせて1000ドルを借りて会社を立ち上げたといわれています。

同時期に出資者のジョー・アメリエンもジョン・ミラー・キャップ会社を辞めて、Eクック・キャップ社に移り最初の雇用者となります。エルハルド・クックの姉ローズも会社に入り本格的に創業を開始、1920年に年間で5000ダースものキャップを生産し、2年後に社名は「ニューエラ・キャップ」となります。

1920年代は同社は好調で、紳士のカジュアルキャップやユニフォーム用のキャップなども合わせて製造を始めています。このときはまだ有名となるベースボール用のキャップは製造していませんでした。

そして1934年、ニューエラ・キャップとして初となるプロ用ベースボールキャップを「インディアンズ」の為に制作。独占的な契約などは無く、毎年多くの企業がチームより受注を受けるため凌ぎを削っていたようです。

6年後の40年代には無地のチームキャップを生産し、他のスポーツメーカーがラベルの縫いつけを行う。これ以降メジャースポーツへキャップを供給する唯一の帽子メーカーになり、メジャーリーグ24球団中20球団がニューエラと契約。また、プロ野球選手と同じキャップが手に入るといった広告がキッカケとなり、野球ファンの間で流行、その流行は日本でも見られました。

その後、MLBのオフィシャルサプライヤーとなり、日本や英国、オーストリアなどでも会社を開き世界屈指のヘッドウェアアパレルブランドに成長しました。

アメリカ西海岸のオリジナルブランド「アンディフィーテッド」

今回はアメリカのスニーカーショップ「アンディフィーテッド(UNDEFEATED)」をご紹介します。

「アンディフィーテッド(UNDEFEATED)」は、アメリカのロサンゼルスにオープンしたスニーカーショップで、アメリカ同時多発テロが起きた2001年9月11日の翌年2002年同日に、エディー・クルーとその友人ジェームズ・ボンドの二人が設立しました。

スニーカーショップの名前「アンディフィーテッド」には“俺達は絶対に負けない、いかなる脅威にも屈しない”といった強い意味が込められています。

またブランドロゴには4本の縦線に右から左にかけて1本の斜線が描かれた「ファイブストライク」という、日本で言えば「正」の字にあたる5本線を採用し、そのロゴには「勝利」の意味が込められています。

2005年からはシューズ以外にも、オリジナルとなるアパレルライン「UNDEFEATED」をスタート。

「Play Dirty」をテーマにアメリカ四大スポーツ(アイスホッケー・バスケット・野球・アメリカンフットボール)のコラボレーションや、ボクシングやモータースポーツなど、アメリカンカジュアルやスポーツの要所を取り入れた商品を製作しています。

アパレル製品は、Tシャツや半袖・長袖、クルーネックやフード・ジップパーカー、ジャケット、パンツ・ズボン・ショートパンツなどブランドロゴをワンポイントで取り入れたものが多く、それ以外にもキャップやハット、バッグ類、小物類などの充実。リーボック・プーマ・ナイキといったスポーツメーカーとシューズのコラボレーションを行っており人気を博しています。

アンディフィーテッドの店舗は2002年9月11日にロサンゼルスに1号店をオープンさせ、サンタモニカ、ラスベガス、スルバーレークといった西海岸に店舗を出店しています。

そして2006年には日本の静岡パルコに国内第一号店を出店。翌年には東京に国内第二号店を出店しています。

古着ファッションの始まり

今では当たり前に取り入れられている「古着」。

古着の歴史は古く、日本では室町時代には既に「古着屋」が存在していたようです。

古来より原料は生産自体が限られており、素材への加工、布への加工なども労働力や時間などが掛かり衣服は貴重なもの。上流階級の人間が着たものを古着屋が買い取り、一般に古着として販売されていました。またさらにボロボロになるまで着られ、穴が空いてしまったり、ただの布になったとしても裂織といったものに再利用されたりと衣服には高い価値がありました。

時がたち戦後になると、アメリカからの古着が大量に日本に下ろされる様になり、シャツやズボンといった「洋服」が流通し始めます。

昭和50年代以降には、ヒッピーやアイビーなどの流行が海外で始まり、その影響から古着が「ファッション」として受け入れられ始められました。

日本では1970年代に古着が流行の兆しを見せましたが、一旦収束。1990年代に入って平成になってから再び古着ブームが始まり、ようやく現在の様な「古着ファッション」が定着していったのです。

ビンテージブームも重なった事により、昔に作られたスタジアムジャンパーやシャツ、特にジーンズは高額な値段で取引されるようになり、ビンテージ専門店も出現。専門店が出来たことにより手に入れやすくもなり、古着ファッションの人気に拍車が掛かりました。

またビンテージ人気に目を付けたアパレル・ファッションでは、新しく作った商品に対しても着古したように見えるダメージを与えたり、色あせたりしたように見せる「ビンテージ加工」の商品を販売し始め、更に古着ファッションが認知されるようになっていくのです。

2014年の現在、関東や関西といった主要都市では古着を扱う個人店やショップなどが多く立ち並びますが、地方などでは家具・電化製品・インテリアなどの買取を行っていたリサイクルショップが古着の買い取りも一緒に行うといった企業が増えてきています。

ホーム > タグ > アパレル

ページ
QRコード
シーエーセールススタッフQRコード

☆モバイルはこちら☆

.

ページのトップに戻る