転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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イタリア生まれの大人ブランド!香水はブレない人気

20代後半以上の男女に人気なのが、ブルガリ(BVLGARI)です。そのブランド名は、ほとんどの方がご存知なのではないでしょうか。元々高級宝飾品でありお値段も安くはないため、大人のブランドとして若い方の憧れにもなっています。腕時計や香水、アクセサリーなどが特に有名ですね。香水は世界中の人から愛されていて、日本でも、ディスカウントショップには必ずといっていいほど置かれているため、多くの方が手に入れやすいのが魅力です。

ブルガリの歴史は、1884年にまでさかのぼります。
創立者であるソティリオ・ブルガリが、イタリアのローマに創業した高級宝飾品ブランドからスタートしました。「BVLGARI」という綴りに特徴がありますが、「J」「W」「U」が、古代アルファベット表記にはなかったため、このように表されています。
ソティリオはギリシャの銀細工師を務めてきた家系に生まれ、技術力は非常に高いと評判だったそう。当時のギリシャは政治情勢が混乱していたため、ソティリオはナポリに渡り、その後ローマに渡りました。
そして1905年、ブルガリ本店をコンドッティ通りに移転します。
1970年代に入ってからは、比較的手ごろなお値段で手に入る、「ブルガリ・ブルガリ」を発表します。そしてアメリカニューヨークに、記念すべき海外1号店を出店します。
日本に進出したのは1991年。ブルガリ・ジャパンを設立し、東京都千代田区紀尾井町に本店を置き、現在では全国に40店舗ほどを展開しています。

その後、宝飾品だけでなく腕時計やメガネフレーム、財布などのレザーアイテムの取り扱いを始め、ホテルの経営にも乗りだすなど、事業を展開していきました。

ブルガリが最初の香水を発表したのが、1993年です。当時発売された「オ・パフメ(のちのオ・パフメ・オーテヴェール)」は「緑茶の香り」として大ヒットを果たし、それをきっかけに本格的に香水事業に乗り出すようになりました。現在では男女ともに様々な香りの香水を発売しており、上品な香りとして大人の男女から人気を集めています。

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1児の母の熱意によって生まれたブランド

子供服、紳士服、婦人服、雑貨、化粧品、香水など、幅広いジャンルで人気を集めているのが、アニエス・ベー(agnes b.)です。
さらさらっと手書きで書かれたような黒文字と、トカゲのロゴは、一度見たら目に焼きついてしまう、覚えやすいブランドでもあります。しかし実際の洋服や財布はシンプルで機能的なものが多く、だからこそ子どもから大人までに親しまれるファッションブランドなのです。

アニエス・ベーのデザイナーは、創設者でもあるアニエス・ベー本人です。
1941年に、フランスのヴェルサイユで弁護士の娘として生まれたアニエス・ベーは、本名をアニエス・トゥルーブレといいます。元々は美術館のキュレーターを目指していましたが、美術学校卒業後の17歳の時にクリスチャン・ゴルゴワと結婚し、長男をもうけるもののすぐに離婚。
離婚をしてから、1児の母となったアニエスの、ファッション業界への進出がスタートしました。
まずアニエスは、雑誌出版社であるELLEに入社し、子供向けのファッション記事を担当しました。その後同社を退職し、「ドロテビス」でスタイリストとして経験を積み、フリーとしてデザイナーを経験します。
そしてELLE入社後から約10年後に、自らのブランドである「アニエス・ベー」を立ち上げ、パリにブティックをオープンします。このブランド名は、元夫の姓である「ボルコワ」の頭文字からとったものなのだそう。
その5年後である1980年には、ニューヨークに2号店を出店します。そして着々と人気を伸ばし、オランダ、イギリス、スイス、香港、日本にも進出を果たします。
映画業界とも関わりが深く、独自の映画制作会社ももっているほどです。

日本では、1984年にフランスのC.M.C.S.A.と日本のサザビーが合弁で設立した株式会社アニエスべーサンライズにより、東京青山に1号店をオープンさせました。
現在は百貨店などで店舗を展開しています。全国の百貨店で展開していますので、最近ではアニエス・ベーの商品は手にとりやすいのではないでしょうか。

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スポーティーなオシャレを楽しむ!

スポーツ用品メーカーでありながら、常に最先端のスポーティーファッションを提案しているのが、アディダス(adidas)です。アディダスのジャージやスニーカーをミニスカートなどに合わせるスポーツミックスファッションは、オシャレ女子の中で常に安定した人気を誇ります。
アディダスというと、月桂樹の冠をモチーフにした三つ葉マークがお馴染みですね。そのマークをあしらったスニーカーを見かけることが非常に多いため、スポーツ用品ブランドというよりも、スニーカーブランドと思っている方も少なくはないかもしれません。

そもそもアディダスは、靴職人の息子であるアドルフ・ダスラーが創始者です。
1900年、アドルフはドイツのニュルンベルク近郊で靴職人の息子として誕生しました。1920年には、兄のルドルフとともに、「ダスラー兄弟商会」を設立し、靴製造を行います。この時ルドルフは若干20歳。主に生産を担当し、ルドルフが販売を行っていました。
しかしその約30年後には兄弟の意見対立によって「ダスラー兄弟商会」を解消することになってしまいます。
そして誕生したのが、アディダス社なのです。
アディダスという名の由来は、本人の名前からきており、アドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたものです。
同じ時期に、兄のルドルフは新たな会社を設立します。それがなんとあの「プーマ社」だというのですから、この兄弟の力量には驚かされます。

アディダス社では、現在でも愛されているようなテニスシューズやバスケットシューズをどんどん生産し発売していきます。
さらに、アドルフの息子であるホルストがスポーツ広告代理店を設立し、スポーツ界の大物とパイプを持ち始めたことから、後のオリンピックやFIFAワールドカップといった大規模なスポーツイベントに多大な影響をもたらしたといわれています。
アディダス社はこの時期、世界一の売上を誇るスポーツ用品メーカーに君臨していました。

しかし、ホルストが51歳という若さで病死してからは、経営権争いの渦中でナイキ、リーボックに次ぐ業界3番手に転落してしまいます。
その後、フランス人のロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を握ってからなんとか黒字に持ち直し、現在までの人気へと復活を果たすことに成功したのです。

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