転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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時代の先端を走り続けてきたフランスのブランド

常に流行の最先端を行くブランド、ディオール(Dior)。
ディオールは、1946年、フランス生まれのクリスチャンディオールが自身の名を冠にして立ち上げたブランドです。
クリスチャンディオールは1905年、フランスのノルマンディ地方で比較的裕福な実業家の家に生まれます。両親の希望で外交官を目指し勉学に励みますが、政治学院在学中にシュールレアリスムに魅せられ、画廊を開設。しかし、1930年代の恐慌のあおりで失業してしまいます。
この時、友人からデッサンを習い、帽子のデザインが好評を博したのを機会に、服飾関係へと進路を変更していきます。
そしてその後、画廊時代のつてで、ファッション業界へと足を踏み入れました。

ディオールが独立したのは、1946年。リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目をとめたマルセル・ブサックが援助し、初のブティックをオープンさせます。

1947年にパリコレデビュー。
その際発表した、ペチコートで膨らませた曲線を強調したなだらかな肩と、細く絞ったウエスト、そしてくるぶしまであるロングスカートといったファッションがモード界に衝撃を与えます。衝撃を受けたうちの一人である雑誌編集長カーメル・スノウが「まさにニュールックだ」と言ったことがきっかけで、彼のデザインは「ニュールック」と呼ばれるようになりました。

その後、50年代後半まで、ジグザグライン、バーティカルライン、オーバルライン、シニュアスライン、チューリップライン、Hライン、Aライン、アローラインなど、次々と新しいシルエットを提案していきます。

1948年には、香水部門であるパルファン・クリスチャンディオールを設立します。香水だけでなくネクタイや食器類などを生産し、これがブランドビジネスの先駆けとなりました。

しかし57年、クリスチャンディオールが心臓麻痺によって53歳という若さで死去。

ディオールの死後、主任デザイナーに抜擢されたのがイヴ・サンローランでした。
60年にイヴ・サンローランがアルジェリア戦争で徴兵された後は、マルク・ボアンが就任しています。

次々と新しいスタイルを生み出してきたディオールでしたが、徐々に衰退していき、70年代からは経営危機を迎えます。しかしベルナールアルノーが経営を引き継ぎ、ブランドを再興させ、現在では、LVMHを経営上の傘下に持つほどに成長しました。
2000年にメンズライン「ディオールオム」を立ち上げ、大きな反響を呼び、メンズファッションブランドとしての人気も確立しています。

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独自の世界観を貫き通す、日本発の人気ブランド

愛称HYS(ヒス)で親しまれ、レディースブランドとしてスタートした日本発の人気ブランドが、ヒステリックグラマー(Hysteric Glamour)です。
ヒステリックグラマーは、1984年に、北村信彦がスタートさせたブランドです。
1962年、東京生まれの北村は、東京モード学園を卒業後、創業間もないオゾンコミュニティに入社します。そしてオゾンコミュニティからヒステリックグラマーを発表。

ヒステリックグラマーのコンセプトは「デザイナーが大きな影響を受けた、60年代後半から80年代初頭までの音楽やカルチャーをポップかつユーモラスにアレンジしたモチーフと、スリムでタイトなスタイル」。
ブランド名に由来するのは、ヒステリックでグラマーな女性。そんな女性を理想像に掲げ、バンドであったり、ミュージシャンであったり、時々に応じて着こなしてほしいと思う商品を制作しています。
大きな特徴は、デビュー以来、トレンドに左右されることなくコンセプトが一貫しており、独自のスタイルを貫き通していることです。その姿勢に感銘を受ける若者も多いのではないでしょうか。

86年に、直営1号店を原宿にオープンします。
91年、ロンドンで「Hysteric Glamour UK」の生産をスタート。
98年には、「Hysteric Glamour USA」を設立。
99年、香港でオンリーショップをオープンさせます。

2008年、大阪・梅田の阪急百貨店のメンズ館にて、スタイリスト野口強の呼びかけで、アンダーカバー、N.ハリウッド、ナンバーナイン、ヒステリックグラマーが集結したセレクトショップ「クアドロフェニア」がオープンしました。

ヒステリックグラマーは、ブランドスタート以来、着々と成長し、今や日本全国にとどまらず、海外にもショップを構えるようになりました。
当時は創業したてだったオゾンコミュニティも、ヒステリックグラマーの人気とともに事業を拡大させていきます。そして現在、年商60億円を超える大企業に成長しました。これは、ヒステリックグラマーの人気あってこその成長、といっても過言ではないかもしれませんね。

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スウェットが大ヒット!アメカジの王道ブランド

アメカジの王道ブランドとして世界的知名度を誇るのが、チャンピオン(Champion)です。
青、赤、白の爽やかなカラーリングのロゴはあまりにも有名です。
チャンピオンは、アメリカのスポーツウェアブランドです。
1919年に、チャンピオンの前身となる「ニッカーポッカー・ニッティング・カンパニー」を、サイモン・フェインブルームがアメリカ・ニューヨーク州のロチェスターに設立します。
当初はセーターを販売していましたが、サイモンの死後、1920年に息子たちが「チャンピオン・ニッティング・ミズル社」として事業を継続し、Tシャツや防寒用の下着、靴下などの販売をスタートさせます。
1924年に、チャンピオンのスウェットがミシガン大学にて採用されます。これが若者の心をつかみ、その後全米各地にチャンピオンの名を広めるきっかけとなりました。
そして1934年に、洗うと縮んでしまうスウェットの欠点を解消すべく、「リバースウィーブ」を開発します。これは、コットンを横向きに織ることで縮んでしまうのを防ぐ技術で、1938年には特許を取得しました。
この頃から、チャンピオンは徐々にその人気を拡大させていきます。

1939年、若者向けのスウェットだけでなく、アメリカ海軍にTシャツを提供します。
1950年、大学名をプリントしたスウェットを発表。これがさらなるヒットとなります。
襟ぐりから袖下にかけて斜めに切り替えられた「ラグランスリーブ」が登場したのもこの頃です。

1967年、「チャンピオン・ニットウェア・カンパニー」から「チャンピオン・プロダクツ社」に社名を変更。1970年には女性用ラインが登場し、アイテムの幅を広げていきました。

日本に初上陸したのが、1975年です。ゴールドウィンが契約を結び、一時期は200億円もの売り上げを記録しました。

1984年、お馴染みの「C」ロゴがスウェットやTシャツの左袖につくようになります。
1989年、アンダーウェアなどで有名な「ヘインズ(Hanes)」をもつサラ・リー社の傘下に入り、2005年にはドレスキャンプとのコラボレーションを発表。チャンピオンのスポーティーさと、ドレスキャンプのモードなデザインがうまく調和し、高い人気を得ました。

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