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ファッション以外にウォッカ・ワインブランドも展開する「ロベルト・カヴァリ」

ファッションデザインを行い、バッグやアクセサリーの展開も行うブランドは多いですが、今回ご紹介する「ロベルト・カヴァリ」は、同じ名前でウォッカやワインのブランドも展開する幅広いブランドです。

「ロベルト・カヴァリ(Roberto Cavalli)」は、1940年にイタリアのフィレンツェで生まれたファッションデザイナーです。

アーティストに明のある家に生まれ、小さい頃から数々の芸術に触れながら育っていきました。フィレンツェにある芸術学校でプリント技術を専攻するとともにアートとファッションに興味を持ち技術を磨きます。

60年代に入り、シルク製品に装飾部分や縫い目を除いた全体にプリントを施す技術を生み出し、その技術が同ブランドのトレードマークとされる「スタンパカヴァリ」に繋がりました。

そして1970年、自身の名を冠したブランド「ロベルト・カヴァリ」を設立。同年にコレクションデビューを果たし、翌翌年にはフランス・サントロペに初のブティックをオープン。

ブランド設立後には革プリント技術で特許を取得し、エルメスやピエールカルダンといった有名ブランドから依頼を受けるなど、ヨーロッパにまでロベルト・カヴァリの名は知れ渡りました。

1990年代に入るころには豪華でセクシーなデザインは洗練され、流行にも左右されず根強い人気を誇るブランドとしてトップを走り続け、2007年にはスウェーデンに拠点を置く「H&M」とイタリア人初となるコラボを発表。

ロベルト・カヴァリのダイナミックでセクシーなデザインにはシャロン・ストーンといった熱狂的なファンも多く、特にベッカムの妻ヴィクトリア・ベッカムは同ブランドのコレクションによく訪れる事でも知られています。

人気は衰える事を知らず、2013年現在では世界50ヶ国に店舗を構え、メインブランドとなる「ロベルト・カヴァリ」に加え「クラス・ロベルト・カヴァリ」「ロベルト・カヴァリ・ジュニア」といったラインを展開し、グローバルブランドとして成長し続けています。

ワイン・ウォッカは日本では販売されていないようですが、専用ウェブサイトが用意されているのでそちらをご覧ください。

オリンピックのスキー選手・空軍パイロット・政治家異色の経歴を持つファッションデザイナー「エミリオ・プッチ」

「エミリオ・プッチ」は、プリントの王子「Prince of Prints」の異名を持つ男性ファッションデザイナーです。

1914年フィレンツェに生まれ、1934~1935年の1年間スキーナショナルチームに所属。自分がデザインしたスキーウェアを着用していました。

その後アメリカに渡り、37年にポートランドリード・カレッジで社会学を就学。39年にイタリアに戻りフィレンツェの大学で政治学の博士号を取得しました。第二次世界大戦に突入しイタリア空軍でパイロットに従事、終戦後イタリア議会に入り政治家として10年在籍という経歴を持っています。

ここまでの経歴からは、スキーナショナルチームに所属した際に自分がデザインしたスキーウェアを着用していたというのを除き、ファッションに関連するものは見られませんでした。しかし、彼のキャリアが1947年に大きく動きます。

自分が高校時代着用していたスキーウェアを「ハーパース・バザー」に掲載すると大きな反響を呼び、掲載雑誌から女性用の冬服デザインを依頼されます。それが実際にニューヨークで販売され、スポーツウェアデザイナーとして評判になっていきます。

この時人気になったのは、鮮明なプリント柄や大胆な図柄や色を使った「プッチ柄」。

マリリン・モンローやジャクリーヌ・ケネディなど、アメリカを中心としたセレブ達に受け入れられ、衣服はもちろん、カーペットなどを制作していきます。

さらに1964年にはブラニフ航空の客室乗務員制服のデザインを、1971年にはアポロ15号使節団ロゴなどのデザインを手がけ、80年代にはアメリカ高級車「リンカーン・タウンカー」「コンチネンタル」の内外装に携わり、ファッションの枠を超え活躍しました。

92年にエミリオは死去、その後を娘のラウドミア・プッチが引継ぎ事業を継続。

97年に経営権の譲渡を行い、それ以降、ジュリオ・エスパーダ、クリスチャン・ラクロワ、マシュー・ウィリアムソンの順でデザイナーを務め、2008年にウィリアムソンが3年契約の終了と同時にプッチのデザインを終了。

現在は「エマニュエル ウンガロ」でデザイナーをしたピーター・デュンダスが、アーティスティック・ディレクターに就任しコレクションを発表。ブランドの始まりとなったスキーウェアコレクションも、ロシニョールと提携したことにより復活しています。

40歳の若さでこの世を去ったデザイナー「アレキサンダー マックイーン」

「アレクサンダー マックイーン(Alexander McQueen)」はイギリスのロンドンに拠点を置くファッションブランドです。

同ブランドを設立したデザイナー、アレクサンダー・マックイーンは1969年にイギリス・ロンドンで生まれた6人兄弟の末っ子。中学を卒業後、パブなどで働くも長続きせず、偶然ニュースで知った仕立職人への道に入り、サヴィル・ローのアシスタントして働き始めます。

ファッション業界で仕事をし始めた後、イタリアに渡りロメオ・ジリのアトリエでの勤務しました。その後、再びイギリスに戻ってセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインにパターンカッティング講師として雇われ、この時に大学院課程を取得卒業。

1991年、セントマーチンズカレッジの卒業コレクションの時「ヴォーグ」のイザベラ・ブロウの目に留まりデビュー。その翌年92年に、自身の名前を冠したファッションブランド「アレクサンダー マックイーン」を設立したのです。

1993年にはロンドンコレクションに出展、96年にはシバンシィのデザイナーに就任するも仲違いの末2001年の契約満了とともにデザイナーを降りることになります。

その後時を少しおき、2002年春夏コレクションではメンズコレクションを発表。06年にスポーツ用品「PUMA」とコラボレーションとして「Alexander McQueen PUMA」でスニーカーを発表、2006年には自分のブランドのセカンドラインとなる、若者向けブランド「McQ(マックキュー)」を発表しています。

メンズ・レディースファッションのほか、赤十字やサムソナイトとのコラボで、バッグやキャリアケースのデザインを行ったりと、型にはまらないデザインを精力的に行い、そのデザインは前衛的なファッションを好むレディー・ガガといった有名人の顧客も多くかかえました。

しかし、2010年2月11日の朝、40歳の若さでこの世を去ることになります。事件性は無いものの、自殺との発表もなく謎まま。

彼亡き後のブランドは、アレキサンダー・マックイーンのウィメンズデザインを担当していたサラ・バートンがクリエイティブディレクターに就任、継続してブランドを維持しています。

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