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日本では香水と化粧品でおなじみのブランド

日本では香水と化粧品でお馴染みのフランスのブランドが、「ニナリッチ」です。

定番の香水は「レール・デュ・タン」で、アーモンドとキウイなどの香ばしく、フレッシュな香りがミックスされた「レ・ヴェルドゥ・リッチ」なども人気。

日本ではあまりなじみのない服も、女性らしいデザインと、手ごろな価格にも関わらず品質が良いことで評判です。

創設者であるニナリッチは、1883年イタリアのトリノ生まれ。幼い頃から服づくりが趣味で、デザインや裁縫ばかりに興味があったといいます。

13歳の頃に家族とともにパリに出て、18歳でアトリエのプルミエールを務めた後、宝石商のルイ・リッチと結婚。渡仏してからは裁縫や裁断の修行を重ね、「ランファン」と共同で米国のバイヤー向けに自作品の原型を販売し始めました。

1932年、メゾン「ニナリッチ」をパリでオープン。

「彫刻家」とも呼ばれたその手法は独特で、デッサンを行うことなく生地を直接着る人の体にあて、カットし、ドレープをきかせていきます。

完璧な縫製と品質の良さから、パリのセレブたちから高い支持を得ました。

1945年、息子のロベールに経営を任せ始めると、彼の経営手腕からニナリッチは世界的なブランドへと成長を遂げます。48年に発表された香水がヒットを収めたのも、成功の要因です。ニナリッチの定番香水は、今でも、世界的にロングヒットを続けています。

この間、ニナ自身はデザインに専念していましたが、59年、老齢のためデザイン活動を引退。ジュール・フランソワ・クラエを後任に起用します。

64年にクラエがランバンに移り、その後任としてジェラール・ピパールが就任。

70年、ニナリッチ死去。

ピパールの功績もあり、76年にはパリのジョルジュ・サンク通りに大きなショップをオープン。

1999年秋冬シーズンより、チーフデザイナーにはカナダ出身のナタリー・ジェルヴェが就任し、2001年春夏からは、マッシモ・ジュサーニが就任、2003年にはスウェーデン出身のラーズニルソンがアーティスティクディレクターに就任、2007年秋冬からは、オリヴィエティスケンスがクリエイティブデザイナーに就任。

2009年からは、ピーター・コッピングがアーティスティック・ディレクターに就任しています。

父親の名声?その懸念を自ら払拭した若手デザイナー

元ビートルズのポールマッカートニーと、リンダマッカートニーの次女としてロンドンに生まれたステラ・マッカートニー。1995年に、自身のレーベルを立ち上げました。

ステラ・マッカートニーの特徴は、シャープでセクシーなテーラリングに、女性らしい柔らかさを融合させていることです。

1995年に、映画、美術、ファッションなどを教える学校として有名な、「ロンドン芸術大学セントラル・セントマーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」を卒業。

卒業コレクションでは、モデルのケイト・モスを起用したことで注目を集め、彼女らがステラ・マッカートニーをすぐに着用するようになってから、デザインも注目されるようになりました。

ステラは、クリスチャンラクロワの下で学び、エドワード・セクストンのもとでジャケットなどのテーラードの勉強をしました。これが、彼女のシャープなテーリングの起源になっているようです。

97年、25歳の若さでクロエのクリエイティブディレクターに大抜擢され、1998年春夏から、2001~2002年秋冬までデザイナーとして活躍。自身のコレクションは二度開催しただけでしたが、ブランドの成長に大きく貢献しました。

これまで、父親であるポールマッカートニーの名声で脚光を浴びてきたと思われがちだったステラの才能は、クロエのデザイナーを務めたことで確かなものとなり、若手層にも顧客を拡大することに成功。伝統的なブランドのデザインに、ロンドンのストリート色を加えたことが成功の要因だと言われています。

2001年、グッチグループの後押しがあり、自身の名を冠したブランド「ステラマッカートニー」を設立します。

2005年には、アディダスとコラボしたブランド「アディダス・バイ・ステラマッカートニー」を発表。2005年には、H&Mと、2007年にはターゲットと、2008年にはレスポートサックとバッグのコラボを始めるなど、他ブランドとのコラボを積極的に行ってきました。

2008年、日本に初めての直営店がオープン。

イタリアファッション業界で最も尊重されたデザイナー

イタリアのファッション業界で、最も尊重されたデザイナーの一人が、ミラショーンです。正確な仕立てと、洗練されたスタイルが有名。
ミラショーンは、1916年、ユーゴスラビアのダルマティアに生まれます。裕福な家系で、幼少の頃にイタリアに移住します。イタリアで、裕福な男性と出会い、結婚。
もともとバレンシアガの顧客であり、その素晴らしさに魅了されたミラショーンは、1958年にミラノで小さなアトリエを開設します。オートクチュールコレクションの顧客だったことから、服づくりを始めとするファッション業界について大変詳しく、顧客が臨むものなども心得ていました。また、クリスチャン ディオールなどでも服を仕立てていたというほどの、実力を持っていたといいます。

1959年、自身の名を冠したブランド「ミラショーン」を開始します。
彼女が生みだすデザインは、パリのトレンドをそのまま取り入れたものではなく、イタリア風にアレンジしたものでした。先進性もありつつ、イタリアの持つ機能性を取り入れたものです。
イタリアに関連するユニフォームをつくったこともあり、オリンピックのイタリア代表にユニフォームを提供したことも。

1965年、フィレンツェで初コレクションを発表したことで、一気に世界からの注目を集めます。翌年にはミラノにショップをオープンし、徐々にイタリアの都市へと進出していきました。
当時のミラショーンのコレクションではイヴニングドレスが特に好評で、ドレスに刺繍を施したもの、ゴブラン織り、ペルシャ風のデザインなどの人気が高かったようです。最高級の素材と、彼女が若かりし頃から培ってきた縫製の高度な技術を加えたテーラリングが特徴でした。
60年代後半に進出したアメリカでも好評を得、日本には83年に進出します。

その後、ブランドはさらに大きくなっていき、ハンドバッグ、財布、靴などのアクセサリーラインをスタートさせました。

2008年、ブランド創業者であるミラショーンは、91歳で死去。

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