“憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~
福岡:本日のお勧めのお仕事を紹介します♪
- 2012-05-31 (木)
- アパレルニュース | 福岡 | CASSからのお知らせ
6月スタートのラグジュアリー!岩田屋新館のバック販売。VOGUEやELLEでお馴染みのバック販売!
ステップアップをしたい方も、ラグジュアリーに憧れているあなたも、ぜひチャレンジしてください。
時給は1100円+交通費です。制服あります!
お問い合わせは、シーエーセールススタッフ福岡オフィス:092-735-7716
伝統と遊び心が共存した「ひねりのあるクラシック」ブランド
- 2012-05-28 (月)
- ブランド紹介
日本の若者を中心に人気があるイギリス生まれのブランドが、「ポール・スミス(Paul Smith)」です。
ポール・スミスのデザインは、イギリスの伝統様式をベースにしたトラディショナルな雰囲気が魅力。カラフルで落ち着いたカラーのストライプ柄がポール・スミスの代表的な柄であり、一目みただけでもそれとわかる独特の色使いが特徴です。
鮮やかで軽やかなポール・スミスの素材やデザインは、当時堅苦し印象を与えがちだった英国の伝統的なメンズファッションに新風を巻き起こし、それと同時に英国の伝統的なファッションの良さも世界に知らしめました。
ポール・スミスはブランド名であり、デザイナーの名前でもあります。
ポールは、1946年にイギリス・ノッティンガムで生まれました。
少年時代は自転車競技のレーザーを目指していましたが、事故により挫折。17歳の時にアートスクールの学生と仲良くなり、芸術に目覚めたことがデザイナーを目指すきっかけとなりました。
1970年、ノッティンガムに最初の店舗をオープン。
オープン当初は、マーガレット・ハウエルやケンゾーなどの商品を主に取り扱っていました。ポールはマーガレット・ハウエルの旧友であり、最も早くマーガレット・ハウエルを取り扱ったお店の一つだといわれています。
そして徐々に自分の名前を冠とした商品も取り扱い始め、1976年に、パリで初めてのショーを開催。それ以降も毎年パリで新作コレクションを発表しています。
日本に進出したのは1984年。
初めての路面店は南青山の骨董通りに誕生しました。
それ以前もビームスなどの専門店では取り扱いがありましたが、伊藤忠商事との契約で正式に進出したのはこの年になります。
ニューヨーク五番街に路面店を構えたのは1987年。
この頃ヤッピーと呼ばれていた若いエリート層の中で、ポール・スミスは一種のステイタス・シンボルとなり、大きな成功を収めました。
「ひねりのあるクラシック」をスローガンとする彼のデザインやカラーリングは、ニューヨークだけでなく、オシャレな男性のステイタスとなっています。
メンズアンダーウェアの定番!アメリカの有名ブランド
- 2012-05-26 (土)
- ブランド紹介
言わずと知れたアメリカのファッションブランドが、「カルバン・クライン」です。
カルバン・クラインはファッションブランド名でもあり、デザイナーの名前でもあります。彼の名言である「全てはカッティングから始まる」という言葉は有名。
その言葉の通り、カルバン・クラインの作品はカッティングが美しく、キャリアを意識した、機能的で洗練されたデザインが特徴です。
特に下着と香水が人気が高く、他にも時計、サングラス、ジュエリー、インテリアなど広くデザインを手がけています。
カルバン・クラインの下着は着心地が良く、ファッションメンズアンダーウェアの代名詞といわれるほどに定番になっています。
いまだに人気を博している映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもカルバン・クラインの下着が登場しています。
まだカルバン・クラインが誕生していない世界にタイムスリップしてしまった主人公がカルバン・クラインのロゴ入りの下着を身についていて、自分の名前が下着に書いてあると勘違いされる、というギャグ要素として取り入れられていました。
1942年、カルバン・クラインはアメリカのニューヨークに生まれます。
ニューヨーク・ファッション工科大学を卒業し、1968年に幼馴染のバリー・シュワルツと共に会社を設立。
コートを主に扱い、同時にレディースウエアのプレタポルテ・コレクションをスタートさせます。
カルバン・クラインが有名になったきっかけとして語られているのは、百貨店の部長が勘違いからカルバン・クラインのブティックに入り、店内に置いてあったコートをいたく気に入ったことがきっかけだといわれています。
1972年、スポーツウエア部門、化粧品・香水部門の会社を設立し、活躍の場を広げていきました。
1973年に最年少で「コティ賞」を受賞してから、1975年まで3年連続この賞を受賞しています。
下着を手がけ始めたのは1970年代後半からで、同時期に「カルバン・クライン・ジーンズ」をスタートさせます。これが、デザイナーズ・ジーンズの先がけとなり話題になりました。
日本では、1975年に伊勢丹で、初めてのアメリカ人デザイナーとして、クラインの作品が発表されています。