転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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百貨店の隅で生まれた、ストリート系ファストファッションブランド

トレンドの先端を行くデザインと、リーズナブルさが魅力。H&MやZARAなどとよく比較されているブランドが「トップショップ(TOPSHOP)」です。ファストブランドの中でも、ストリート色がやや強めであることが特徴です。
元々はイギリスの百貨店で小さなショップを出したことが始まりですが、これまでに、リチャード ニコル、ジョナサン サンダース、ロドニク、クリストファーケイン、ルイーズゴールディンといった若手デザイナーとコラボレーションしたことで話題になりました。現在も、イギリスを中心に活動しているデザイナーとのコラボを展開しています。

1964年、イギリスのシェフィールドにある百貨店、ピーターロビンソンの服売り場の一つとしてトップショップはオープンしました。
翌年には、現在本店もあるロンドンのオックスフォード・サーカスに店舗をオープンします。
トップショップが独立したのは、1974年。ピーターロビンソンから独立して独立型アパレル小売業として新たなスタートを切りました。
78年、メンズラインのトップマンをスタート。
その後はファッショナブルというよりもチープなイメージが先行してしまい、伸び悩みます。
しかし、1999年、Jane Shepherdsonがブランドディレクターに就任した時、彼女はトップショップをファッション性の高いブランドに変える戦略を打ち出します。
そして、デザイナーたちとコラボし、ハイレベルなイメージへとシフトしていくことに成功。この頃、バーニーズ・ニューヨークなどでもトップショップの製品が置かれるようになりました。

トップショップを所有しているのはイギリス最大のファッションチェーングループ「アルカディアグループ」で、イギリスには400店舗以上展開されています。現在は、イギリスとアイルランドを中心に、世界約30カ国で販売されています。

日本に初めてトップショップが上陸したのは2006年9月。東京・ラフォーレ原宿店に、トップショップ・トップマンがオープンしました。2008年には、ラフォーレ原宿の店舗面積を約3倍にまで拡大しています。

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アルマーニの育ての親。カジュアル&クラシカルで一躍トップに

ウールや綿を取り扱っていたファミリー企業から、みるみる成長を遂げたブランドが、「セルッティ(CERRUTI)」です。
セルッティがイタリアのファッションブランドに変わったのは、3代目のニノ・セルッティが社長に就任したときでした。
父親を亡くす形で社長に就任した二十歳のニノでしたが、これまで培ってきたノウハウを活かし、50年代半ばにアパレル製品の生産に乗り出します。そしてミラノコレクションでメンズウェアを発表。この時発表されたブランド名は、「ヒットマン」でした。
セルッティが発表するコレクションは、高級素材を使用し、クラシカルとカジュアルが融合したスタイル。メンズスーツの分野では一躍トップの地位にまで上り詰めました。

65年、消費者が求めるデザインや素材に詳しいデザイナーとして、アルマーニをスカウト。70年までメンズウェアのデザイナーを務めます。アルマーニは元々バイヤー出身でデザイナー経験はなく、有名デザイナーにまで育てたニノはある意味アルマーニブランドの育ての親と言えるでしょう。

67年にブランド「セルッティ」を発表し、初めてのショップをパリにオープンします。
翌年、レディースウェアコレクションを発表。
ブランドが着実に成長していく中で、求めやすいラインの「Cerruti 1881」、高級ラインの「Cerruti Arte」、ジーンズライン「Cerruti Jeans」、メンズコレクション「the Cerruti Brothers」を展開し、その他にも香水やアクセサリーを発表していきます。

しかし2000年10月、資金調達のためイタリアのFin.partに株式の51%を売却し、ブランド自体が売却された形になると、ブランドの方針をめぐって対立し、残りの株式も売却せざるをえない状況に陥りました。
そして2002年春夏コレクションにてニノはブランドを去り、完全にセルッティ一家からブランドが離れる形となりました。
しかし2005年にFin.partが破産し、翌年プライベート投資ファンドのMatlinPattersonがセルッティを売却。
その後、クリエイティブディレクターとしてニコラ アンドレア タラリスが指名されますが1年後に辞任。新デザイナーにはジャン ポール ノットが就任しました。
2009年、リチャード ニコルがレディスのクリエイティブディレクターに就任しています。

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世界発の旗艦店を青山にオープン。復帰を果たしたドイツデザイナー

2012年9月に、世界初の旗艦店を東京・青山にオープンしたブランド「ジル サンダー」。
「装飾なきデザイン」をコンセプトとして掲げ、着飾ることではなく、ファッションで内面の美しさを表現できるシンプルさや品格を大切にしています。
そのためには素材やカットが非常に大切。そして、それと同時に着心地のいいものに仕上げることにこだわりをもっています。

ブランド創業者であるジル・サンダーは、1943年ドイツのハンブルグで生まれました。
アメリカカルフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークの雑誌社にて女性向けファッション雑誌のファッションジャーナリストを経験。
帰国後、68年にハンブルグにブティックを開設し、ソニアリキエルなどの服を中心に販売しながら、その中で自身が手掛けたものも少しずつ販売していたそうです。

73年にパリ・プレタポルテ・コレクションでデビュー。85年よりミラノへ活動の場を移してから、87年にミラノコレクションへ参戦します。
ジル・サンダーがデザインを手がけ始めた70年代は、カラフルな服が流行しており、彼女がデザインするような繊細で洗練された服は受け入れられにくかったといいます。
彼女が本当の意味で認められ始めたのは1990年代に入ってからでしたが、香水の売上が良く、ジル サンダーはなんとか70年代、80年代を乗り越えます。

89年、ジル サンダー社はドイツで上場を果たし、海外への進出も開始しました。
その10年後、99年、プラダグループがブランドとしての絶頂期に、ジル サンダーの株式75%を取得する形で買収します。
しかし、「素材の質を落としたくない」と主張するジルは、コスト削減に走ったグループのトップであるパトリッツィオ・ベルテッリと対立し、デザイナーを辞任。
彼女が引退した後、2000年春コレクションでは今までのジル サンダーにはないような華やかなデザインを発表し、皮肉にも、好評を博す結果となりました。

その後プラダグループの呼びかけによってジルは再度デザイナーに復帰しますが、2004年にはプラダとの不調和を理由に、再び辞任。
2005年、ラフ シモンズがメンズウェアおよびレディースウェアのクリエイティブデザイナーを務めます。
翌年、Change Capital Partnershipがプラダからジル サンダーを買収。
以降、シモンズが手掛ける芸術的なコレクションは世界中で高く評価されるようになりました。
しかし2012年秋冬コレクションを最後にシモンズがクリエイティブディレクターを辞任することが発表され、後任にはジル・サンダーが再度復帰することに。
ジル復帰第一段の、2013年春夏コレクションも発表されています。

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