転職コンサルタント~虎の巻~ のアーカイブ - “憧れのファッション・アパレル業界で働く♪”~シーエーセールススタッフ~

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イタリアファッション業界で最も尊重されたデザイナー

イタリアのファッション業界で、最も尊重されたデザイナーの一人が、ミラショーンです。正確な仕立てと、洗練されたスタイルが有名。
ミラショーンは、1916年、ユーゴスラビアのダルマティアに生まれます。裕福な家系で、幼少の頃にイタリアに移住します。イタリアで、裕福な男性と出会い、結婚。
もともとバレンシアガの顧客であり、その素晴らしさに魅了されたミラショーンは、1958年にミラノで小さなアトリエを開設します。オートクチュールコレクションの顧客だったことから、服づくりを始めとするファッション業界について大変詳しく、顧客が臨むものなども心得ていました。また、クリスチャン ディオールなどでも服を仕立てていたというほどの、実力を持っていたといいます。

1959年、自身の名を冠したブランド「ミラショーン」を開始します。
彼女が生みだすデザインは、パリのトレンドをそのまま取り入れたものではなく、イタリア風にアレンジしたものでした。先進性もありつつ、イタリアの持つ機能性を取り入れたものです。
イタリアに関連するユニフォームをつくったこともあり、オリンピックのイタリア代表にユニフォームを提供したことも。

1965年、フィレンツェで初コレクションを発表したことで、一気に世界からの注目を集めます。翌年にはミラノにショップをオープンし、徐々にイタリアの都市へと進出していきました。
当時のミラショーンのコレクションではイヴニングドレスが特に好評で、ドレスに刺繍を施したもの、ゴブラン織り、ペルシャ風のデザインなどの人気が高かったようです。最高級の素材と、彼女が若かりし頃から培ってきた縫製の高度な技術を加えたテーラリングが特徴でした。
60年代後半に進出したアメリカでも好評を得、日本には83年に進出します。

その後、ブランドはさらに大きくなっていき、ハンドバッグ、財布、靴などのアクセサリーラインをスタートさせました。

2008年、ブランド創業者であるミラショーンは、91歳で死去。

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エレガントで、芸術性を感じさせるコレクション

アートに対する意識が高く、それがデザインにも繊細に表現されているベルギー生まれのブランドが「ジャン ポール ノット」です。
創業者であるジャン ポール ノットは、1967年、ベルギー生まれ。ニューヨーク州ファッション工科大学を卒業後、イヴ・サンローランのアシスタント・デザイナーとしてオートクチュールなど様々なデザインを経験します。
そして2000年に、自身の名を冠したブランドをスタート。コレクションを発表します。

スタートして何年かは、モーリスぺジャールとバレエのコスチュームを製作したり、ルイ・フェローのデザインを手がけたりと、外での活躍に注力していましたが、2004年からは自身のブランドに強力に力を注ぎ始めます。下着のライン、アクセサリーのラインを発表し、ベルギーのロイヤル・ウィンザー・ホテルの部屋のデザインも手掛けました。

彼がデザインするものは、流れるような美しいラインのものが多く、繊細で、芸術性を感じさせるもの。コレクションのカラーは黒が中心で、モノトーンを多く用いています。どのデザインにもアートな雰囲気が漂い、それが彼の生みだすデザインの特徴となっています。そのせいか、欧米ではジャーナリストからも高い評価を得ており、実際に、アートとファッションのギャラリーを持っていることから、アートへの意識は高いようです。

2006年、「ギャルリー・ヴィー」とのコラボで「ノット・ギャルリー・ヴィー」を発表。
翌年、広尾のギャラリートゥもローランドをメイン会場とし、「KNOTT GALERIE VIE 2007 WINTER COLLECTION」を開催。同時に、ベルギー人アーティストたちによるアートの展示会「LOVE the belgian way」も開催しました。
同年には、セルッティのアーティストディレクターに就任し、レディース、メンズともにデザインを担当します。
2008年春夏のパリ・オートクチュールコレクションで、「ノット・ギャルリー・ヴィー」としてデビューしています。

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自由の象徴・快楽主義。ニューヨークで社会現象を起こしたブランド

1970年代に、ニューヨークを中心に女性のファッションに大きな影響を与えたブランド、「ダイアン フォン ファンステンバーグ」。
機能性、フェミニン、鮮やかさを大切にした女性らしいブランドで、雑誌に登場してから一気に有名ブランドへと成長しました。
73年に、幾何学模様をしたラップドレスが同ブランドから発表され、ニューヨークを中心に大ブームを巻き起こしたのです。500万枚売れ、女性のファッションに大きな影響を与えました。自由な女性の象徴、快楽主義といわれ、まさに社会現象となったのです。

ブランド創業者であるダイアン フォン ファンステンバーグは、1947年、ベルギーに生まれました。ユダヤ人家系で、彼女が生まれる前には母がアウシュビッツ強制収容所にいたといいます。
経済学を専攻していたスイスのジュネーブ大学在学中に、ドイツの皇族の流れを組むイーゴン・フォン・ファーステンバーグ公爵と出会い、結婚。結婚後はアメリカにわたります。

しかし彼女は、「財産豊富な公爵の妻としての地位に甘んじているだけなので、自分で何かを築き上げたい」と考えます。
そして1970年、3万ドルの資本をもとにレディースウェアのデザインをスタート。工場を持つ友人の助けなどを借り、2人の子どもの子育てをしながらファッションデザインを行いました。

73年に、ラップドレスで大成功を収めてから、香水、スポーツウェア、バッグ、家具などへとブランドを展開していきます。
80年代に入るとパリに移住しますが、その後またアメリカに戻ってきます。この頃は、特定の顧客に対してオーダーメイド形式でのみ服をデザインしていました。
97年、ニューヨークコレクションに参加する形でシグニチャーラインを復活させます。
2005年、ファッション業界への影響が認められ、CFDAより表彰を受け、その後CFDAの会長に就任。
翌年、ベルギー、フランスにショップをオープンし、東京・南青山にも初めてのショップがオープンしました。
最近では、様々な試みに挑戦しており、リゾートワンピやシックなコレクションなども精力的に発表しています。

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