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【私服OK】レトロクラシックbland☆アパレル・雑貨販売☆;
- 2013-03-22 (金)
- アパレルニュース | ブランド紹介 | 東京 | CASSからのお知らせ
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世界で最も認識されているデザイナーアパレルグループ
- 2013-03-20 (水)
- ブランド紹介
香港をはじめとするメンズのスポーツウェアブランドとして有名になったのが、「トミーヒルフィガー(TOMMY HILFIGER)」です。
トミー・ヒルフィガーが自身の名を冠したブランドで、本人のフルネームは、トミー・トーマス・ジェイコブ・ヒルフィガー。
ヒルフィガーは、1951年、ニューヨーク郊外のエルミラで生まれました。ドイツ人とアイルランド人の血筋を引き、両親はカトリック教徒。兄弟9人の大家族の中で育ちます。
ヒルフィガーがアパレルと出会ったのは、高校時代。
二人の友人と150ドルの資金をもとに20本のジーンズを売ったことが始まりです。その後69年にニューヨークで「ピープルズパレス」というショップをオープン。しかし、その7年後、ヒルフィガーが25歳の時に倒産してしまいます。
彼は、人々が求める服を調達することは難しいと考え、自らがデザイナーになることを決意。独学でファッションについて学び、79年にフリーデザイナーとして活動を始めました。
84年、自らの名を冠した「トミーヒルフィガー」を設立。
翌年コレクションを発表し、メンズのスポーツウェアブランドとして世界に名を広げました。
92年には会社を上場。その後徐々に拡大していきます。
95年、CFDAのメンズデザイナーオブザイヤー受賞。
ヒルフィガーはポップアートやポップカルチャーからデザイナーのインスピレーションを受けているといい、マリリン・モンローやアンディー・ウォーホルなどからも影響を受けているそうです。
2004年、東京都内一の品ぞろえを誇るトミーヒルフィガー渋谷店が、ココチにオープン。
2005年、投資会社のアパックス・パートナーズに対して身売りすることで合意。約1800億円でブランドを売りますが、2010年、米国のフィリップス・ヴァン・ヒューゼがトミーヒルフィガーを30億ドルの現金と株式で取得します。
2002年よりレディースウエア「トミーガール」を展開。
現在では、メンズウェア、子ども服、デニムを中心に展開しており、トミーヒルフィガーグループは、世界の中でも知名度の高いデザイナーアパレルグループに成長しました。
装飾的でセクシーなシューズが多くの女性を魅了
- 2013-03-18 (月)
- ブランド紹介
ダイアナ妃やマドンナ、カイリー・ミノーグなどが履いたことで有名なシューズブランドが、「マノロ・ブラニク(Manolo Blahnik)」です。
エレガントなシェイプと、常に細く高いヒールが同ブランドシューズの大きな特徴。そのセクシーなシューズにリボンやビーズを組み合わせたコレクションが人気です。
セクシーでエレガントでカラフルなマノロ・ブラニクのシューズは、日本でも大ヒットとなった海外のテレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティー」にもしばしば登場。主人公のキャリーがこの高価な靴にハマってしまい、衝動買いして破産の危機に陥るというエピソードもあります。
マノロ・ブラニクは、1972年に、マノロ ブラニクが自身の名を冠して立ち上げたブランドです。
マノロ ブラニクは、1943年、スペイン領カナリア諸島で生まれ、チェコ人の父とスペイン人の母のもと、バナナ農園で育ちました。
英語・イタリア語・フランス語・スペイン語が堪能な彼は、スイスのジュネーブ大学で美術と言語学を学び始めますが、その後舞台芸術家になるため68年にパリへ移住します。
70年、知人に紹介してもらったアメリカ版「ヴォーグ」の編集長ダイアナ・ヴリーランドに靴デザイナーになるよう勧められ、その翌年にロンドンに渡り、靴づくりを開始。
72年のコレクションでデビューしますが、靴づくりに関しては初心者だったため、その後10年がかりで職人から学んだといいます。
73年、ロンドンのチェルシーに旗艦店をオープン。
デザイナーのオジー・クラークのために靴を作ったことがきっかけで、その後靴デザイン一筋となります。
現在では、ニューヨークと香港などに直営店を展開しており、イタリアの工場を稼働させながらも、最終的なデザインはブラニク自身が手掛けています。
2001年、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートから、名誉博士号が送られます。
2008年、エンターテイメント産業へのファッションを通した影響力が認められ、「ロデオ・ドライヴ・ウォーク・オブ・スタイル賞」を受賞。
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