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ベルギーで絶大な人気を誇るブランド

ベルギーで絶大な人気を誇るブランドが、「ダークビッケンバーグ(DIRK BIKKEMBERGS)」です。
彼が生みだす衣服はどこか力強く、革のブーツを好み、レザーを使用したアイテムが多いのが特徴です。それでいてセクシーな印象を醸し出しています。
ダークビッケンバーグは、「私はファッションと結婚した」と言っており、彼がつくりだすファッションには一貫した美学や男くささが漂います。そのブレのない信念が、多くの人々の心をつかんではなさないのでしょう。

ダークビッケンバーグは、1962年、ドイツのケルンで生まれました。
両親はドイツ人とベルギー人で、軍隊勤め。軍隊に勤める親の元で育ってきたことが、その後の力強いデザインにも影響を与えているといわれています。
1981年、ダークビッケンバーグはアントワープ王立美術アカデミーを卒業し、卒業コレクションで当時史上最高だった97点を叩きだしました。
82年よりフリーのデザイナーとして活躍し、数々のベルギー系ファッション企業で経験を積んでいきます。

1984年に、ジャンポール・ゴルチエに師事。
翌年、最も有望な新人として「ゴールドスピンドル賞」を受賞します。
その1年後に、メンズシューズコレクション「DB」で会社を設立。86年に、ロンドンで靴のコレクションを発表し、ここでファッション業界での地位を確立しました。

87年にニット中心のメンズラインを発表、88年にフルラインのパリメンズコレクションを発表、93年にパリレディースコレクションを発表。
高い評価を得て、ダークビッケンバーグは不動の人気デザイナーへと急成長を遂げました。

1998年に、カジュアルラインである「ビッケンバーグ」を発表し、メンズの発表の場をミラノに移します。その後いくつものブランドを発表し、2000年にはモエ・エ・シャンドン社から「世紀のエスプリ賞」を受賞しました。

そして2009年、ミラノに「ダークビッケンバーグ」のショップをオープンさせます。
現在ではメンズをミラノ、レディースをパリで発表しています。

パリで生まれたスキニージーンズのパイオニア

イギリス・ロンドンで生まれたブランド「スーパーファイン(superfine)」。
スーパーファインは、ロンドンを拠点としてデニムを中心に展開していますが、日本でもショップが展開されており、徐々にファンが増えつつあるブランドです。
スーパーファインを有名にしたアイテムが、スキニージーンズです。スーパーファインの「シグニチャー」と呼ばれるスキニージーンズは、シンプルなデザインで肌にぴたっと吸いつくように見えるほどにタイト。スーパーファインは、スキニージーンズのパイオニアの一つともいわれているのです。
スーパーファインはブランドのデニムに関して、「リアルなロンドンの感覚を取り込んだロックンロールジーンズ」と表現しています。ブランドのイメージは、写真を見ても、アイテムを見ても、セクシーで挑発的。強い女性をイメージしたアイテムが豊富だといえるでしょう。
デザインは比較的シンプルでピュアなものも多く、脚のラインを美しくみせてくれることで多くの女性から支持を集めています。

スーパーファインは、2003年、デザイナーのルーシー・ピンターとフローラ・エヴァンズにより設立されました。
ルーシー・ピンターは、ブランド設立前は、VOGUE等の雑誌やミュージシャンのスタイリストとして活躍しており、フローラ・エヴァンズは、フォトグラファー兼イラストレーターとして活躍してきました。
二人の出会いは、1999年。雑誌の撮影現場で、共通の友達を通して知り合いました。当時は、新しいジーンズブランドが続々と誕生していたにも関わらず、自分たちの求めるような、シンプルで、洗練されていて、かつラインが美しく見える細身のジーンズがない、ということで意気投合した二人が、その理想を叶えるためにブランドを立ち上げたのです。
立ち上げた直後から、ケイト・モスや、シエナ・ミラーなどの女優やモデルが顧客となったことで注目を集めました。

2006年に、メンズラインをスタートさせ、現在はジーンズだけでなく、アクセサリーなどのアイテムも充実しています。

プロテニスプレイヤーが生んだ、スポーツテイストのトップブランド

ワニのブランドマークでお馴染みのアパレルブランドが、「ラコステ(LACOSTE)」です。
スポーツテイストなのが特徴で、現在では衣服だけでなく、香水や皮革製品や時計なども扱っています。

ラコステを創業したのは、フランス・パリ出身の男子テニス選手です。
創業者であるルネ・ラコステは、1904年生まれ。15歳のときにテニスを始めました。
父親が自動車製造業者で裕福な家庭で育ち、テニスをするならチャンピオンになる目標を5年以内に達成する、という約束のもとテニスを始めたと言われています。

1923年にはその頭角をめきめきと現わしており、男子国別対抗戦・デビスカップのフランス代表に選ばれました。当時フランスを代表するテニスプレイヤーだった、アンリ・コシェ、ジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョンの4人を合わせて、フランスの「四銃士」と呼ばれていたほど。
4大大会の初優勝は、1925年のウィンブルドン選手権。ラコステはその後、4大大会のシングルスで全仏選手権3勝、ウィンブルドン選手権2賞、全米選手権2連覇を果たしています。
しかし、25歳のときに結核を患い、引退を決意します。

そしてその4年後、ラコステはポロシャツのデザインを始めます。
ラコステが選手のときのウェアは、決して運動に適している服装ではなく、多くのプレイヤーが不満を抱えていたことから、ラコステ自らが快適なウェアを提案しようとしたのです。
フランスで最大のニット製造会社社長のアンドレ・ジリエと組み、ワニのロゴが刺繍されたポロシャツを製造する会社を設立。ワニのロゴは、ラコステの現役時代の粘り強いプレイスタイルからついたニックネーム「クロコダイル(Crocodile)」からきていますが、このブランド名は他が商標登録しているため、日本では「ワニ」という表記のみが用いられています。

テニスウェアの発表後、他のスポーツ種目を対象にしたポロシャツを次々と発表していき、そのカジュアルで機能的なデザインが一般の人からも受け、ラコステはスポーツテイストのトップブランドとして成功を収めたのです。

ラコステは、1996年10月12日に、92歳で死去。

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