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世界発の旗艦店を青山にオープン。復帰を果たしたドイツデザイナー
- 2012-12-06 (木)
- ブランド紹介 | 転職コンサルタント~虎の巻~
2012年9月に、世界初の旗艦店を東京・青山にオープンしたブランド「ジル サンダー」。
「装飾なきデザイン」をコンセプトとして掲げ、着飾ることではなく、ファッションで内面の美しさを表現できるシンプルさや品格を大切にしています。
そのためには素材やカットが非常に大切。そして、それと同時に着心地のいいものに仕上げることにこだわりをもっています。
ブランド創業者であるジル・サンダーは、1943年ドイツのハンブルグで生まれました。
アメリカカルフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークの雑誌社にて女性向けファッション雑誌のファッションジャーナリストを経験。
帰国後、68年にハンブルグにブティックを開設し、ソニアリキエルなどの服を中心に販売しながら、その中で自身が手掛けたものも少しずつ販売していたそうです。
73年にパリ・プレタポルテ・コレクションでデビュー。85年よりミラノへ活動の場を移してから、87年にミラノコレクションへ参戦します。
ジル・サンダーがデザインを手がけ始めた70年代は、カラフルな服が流行しており、彼女がデザインするような繊細で洗練された服は受け入れられにくかったといいます。
彼女が本当の意味で認められ始めたのは1990年代に入ってからでしたが、香水の売上が良く、ジル サンダーはなんとか70年代、80年代を乗り越えます。
89年、ジル サンダー社はドイツで上場を果たし、海外への進出も開始しました。
その10年後、99年、プラダグループがブランドとしての絶頂期に、ジル サンダーの株式75%を取得する形で買収します。
しかし、「素材の質を落としたくない」と主張するジルは、コスト削減に走ったグループのトップであるパトリッツィオ・ベルテッリと対立し、デザイナーを辞任。
彼女が引退した後、2000年春コレクションでは今までのジル サンダーにはないような華やかなデザインを発表し、皮肉にも、好評を博す結果となりました。
その後プラダグループの呼びかけによってジルは再度デザイナーに復帰しますが、2004年にはプラダとの不調和を理由に、再び辞任。
2005年、ラフ シモンズがメンズウェアおよびレディースウェアのクリエイティブデザイナーを務めます。
翌年、Change Capital Partnershipがプラダからジル サンダーを買収。
以降、シモンズが手掛ける芸術的なコレクションは世界中で高く評価されるようになりました。
しかし2012年秋冬コレクションを最後にシモンズがクリエイティブディレクターを辞任することが発表され、後任にはジル・サンダーが再度復帰することに。
ジル復帰第一段の、2013年春夏コレクションも発表されています。
日本の美意識、日常の中にひそむ美」を伝え続ける日本ブランド
- 2012-12-03 (月)
- ブランド紹介 | 転職コンサルタント~虎の巻~
2005年にブランドをスタートさせてから、独自のスタンスで東京コレクションにおいて異彩をはなってきたブランドが「まとふ(マトウ)」です。
まとふは、掘畑裕之と関口真希子の日本人コンビによるファッションブランド。ブランド名の「まとふ」には「纏う」と「待とう」という2つの意味からつけられています。「纏う」とは日本語独自の概念であり、ただ服を着るのではなく、美意識をもって身にまとうという意味。風をはらむ動作と静かな余韻を残すたたずまい。という意味があります。
「待とう」というのは、性急に消費してしまうのではなく、固有の美意識が成熟するのを待とう…という意味を持っています。
まとふは、「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトにし、日本の美意識を一つずつ取り上げながら、その美意識を服で表現するという試みを続けています。
ブランド創立者の一人である掘畑裕之は、同志社大学を卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科に入学し、98年に卒業。卒業後はパタンナーとして経験をつみます。
一方、もう一人の創立者である関口真希子は、杏林大学卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科に入学。掘畑と同じく98年に卒業し、パタンナーとして働き始めます。
2003年、二人はイギリスにわたり、コレクション業務を経験してから翌年帰国。
アトリエを構え、2005年、まとふが誕生しました。
5年間にわたり「慶長の美」をテーマに、「織部」「志野」「かぶき者」など慶長年間の精神を服に注ぎこみました。
そして2009年、毎日ファッション大賞新人賞を受賞。
2011年には東京のスパイラルガーデンと熊本市現代美術館で「matohu 慶長の美」展を開催。
2010年からは、「日本の眼」をテーマに、日本の美意識をさらにファッションの中に取り入れるべく、先鋭的な作品を展開しています。
二人は、ワークショップやトークショーなども行い、まとふの根底である日本の美意識、日常の中にひそむ美意識などを世に伝える試みも行っています。
アメリカでカスタムメイドシャツ、シェア1位
- 2012-12-01 (土)
- ブランド紹介 | 転職コンサルタント~虎の巻~
昔ながらのスタイルや縫製にこだわりがつまった、アメリカのシャツ専門ファクトリー「INDIVIDUALIZED SHIRTS(インディビジュアライズド シャツ)」。
1枚のシャツへのこだわりは創業してから半世紀たった今も貫き通しており、現在でもアメリカで、カスタムシャツ部門においてシェア1位を記録しています。
インディビジュアライズド シャツは、1961年に、アメリカ・ニュージャージー州でジョン・ラレスカがスタートしたファクトリーです。
アメリカのボタンダウンシャツといえば歴史ある「ブルックス・ブラザーズ」社が世界的に有名ですが、インディビジュアライズド シャツが生みだす製品は、そのブルックス・ブラザーズ社から高い評価と絶大な信頼をうけて、40年間近くそのオーダーメイドラインを任されてきました。
顧客からの要望にそれぞれ応えられるだけの莫大なデータを持っており、ニーズに合わせた縫製を確実に行ってくれます。熟練された縫製技術によって、希望通りの最高のシャツが完成するのです。
老舗ブランドを長年支えてきた名門ファクトリーとして有名ですが、2003年にブルックスブラザーズが買収されたことでカスタムオーダーの契約は終了。しかし現在でも有名ブランドや老舗百貨店からのオーダーをこなしたりと、その信頼は衰えることを知りません。
顧客リストの中には、ブッシュ氏も含む歴代の大統領や、俳優や、スポーツ選手など多くの著名人が名を連ねています。
インディビジュアライズド シャツがつくりだすカスタムメイドシャツの中でも、多大な評価を受けているのが、ボタンダウンシャツの襟元のディテールです。タイをしたときにみられる襟のロールと、タイを外した時の襟元の美しさは、他ではつくりだせない、インディビジュアライズド シャツならではの技術です。
また、大量生産では行えない縫製を多く取り入れているのも特徴です。
量産シャツの多くは、肩部分の縫製ステッチが外側から見えてしまいますが、インディビジュアライズド シャツでは、外側に縫い目の見えない「コンストラクションヨーク」を採用しています。
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