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ファッション業界3大校の一つ「アントワープ」
ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブデザイン、ロンドンのセントマーチンズと並び、ファッション業界で世界3大校の一つと呼ばれているのが、アントワープ王立芸術アカデミーです。 ファッション業界で「アントワープ」というと、アントワープ王立芸術アカデミーをさします。
1960年代、セントマーチンズなどファッション科が相次いで開設されたことや、ベルギー政府がファッションを国の産業にする構成を持っていたことを受け、1966年、アントワープ王立芸術アカデミーでも、ファッション科を開設することになりました。写真、彫刻なども学べる芸術関連の伝統校で、画家であるヴィンセント・ヴァン・ゴッホもパリに行く前に数ヶ月滞在したことで知られています。
アントワープのファッション科は、ファッション学を国際的な学問ととらえ、創造性の分野を徹底的に追求していく方針をとっています。毎年100人程度の学生が入学していますが、卒業できるのは10人程度。競争率が高いことで入学も難しいといわれていますが、卒業することが更なる難関といわれています。
アントワープが世界的に注目されたのが、1986年、ロンドンの展示会にアントワープの卒業生6人が出展した時。マスコミがこぞって彼らを取材したのを機に、世界中で「アントワープの6人」と呼ばれるように。それ以来、「アントワープ」自体が有名となり、ファッション業界で脚光を浴びるようになりました。
アントワープの6人と呼ばれていたのは、「アン・ドゥムルメステール」「マリナ・イー」「ドリス・ヴァン・ノッテン」「ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク」「ダーク・ヴァン・セーヌ」「ダーク・ビッケンバーグ」。
マリナ・イーが休業してからは、「マルタン・マルジェラ」を上記の5人と合わせて、「アントワープの6人」と言われるようになりました。
その他、代表的なアントワープ出身のデザイナーが、以下の通りです。
アン・ヴァンデヴォルスト (AFヴァンデヴォルスト)
アンジェロ・フィギュス
アンナ・ヘイレン
ウィム・二ールス
ヴェロニク・ブランキーノ
ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク
クリス・ヴァン・アッシュ
ステファン・シュナイダー
ハイダー・アッカーマン
フィリップ・アリックス (AFヴァンデヴォルスト)
福薗英貴 (ウェアラバウツ)
ブルーノ・ピータース
ベルンハルト・ウィルヘルム
ユルギー・パーソーンズ
リーヴ・ヴァン・ゴルプ
ファッション業界大3校の一つ「セントマーチンズ」
ファッションの歴史を知る上で、是非知っておきたい学校があります。「ファッションを本格的に勉強したい」「本場ロンドンのファッションを学びたい」そんな方も、是非チェックしておきましょう。
ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミー、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブデザインと並び、ファッション業界で世界3大校の一つと呼ばれているのが、ロンドンの「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」です。通称、「セントマーチンズ」。
ロンドン芸術大学には、いくつかの学校があり、セントマーチンズはそのうちの一つ。写真、映画、映像、美術、ファッションなどを教えています。
セントマーチンズはロンドンの中心、トラファルガー広場の近くにあります。映画・グラフィックなど7つのコースがあり、ファッション業界でセントマーチンズといえば、「ファッション&テキスタイル」コース。
セントマーチンズは世界的に有名なデザイナーを何人も輩出してきた伝統校として知られ、競争率が高い、デザイナーを志す世界中の若者たちの憧れの学校。特に脚光を浴びたのが1995年。ファッション界にロンドン旋風が起こり、ジョン・ガリアーノがジバンシーのデザイナーに大抜擢されたことから始まりました。
その後も、卒業生が次々に脚光を浴びるようになり、セントマーチンズは世界的デザイナーを輩出する学校としてその存在感を確立していきます。
セントマーチンズを卒業している日本人には、岡田幸子(BLAAK)、勝井北斗・八木奈央(ミントデザインズ)、岸本若子(イーリー・キシモト)、古舘郁(コムーン)、吉田真実(ヤブヤム)がいます。
コムーンの古舘郁は、セントマーチンズの卒業コレクションでイエール国際フェスティバルにて入賞。これは、日本人初の快挙となりました。
他、主なセントマーチンズ出身デザイナーは以下の通り。
アーロン・シャリフ (BLAAK)
アレキサンダー・マックイーン
ヴェロニカ・エトロ (エトロ)
クリストファー・ケイン
イナシオ・リベイロ (クレメンツ リベイロ)
キム・ジョーンズ
キャサリン・ハムネット
クレア・ワイト・ケラー
ザック・ポーゼン
スザンヌ・クレメンツ (クレメンツ リベイロ)
スチュワート・ストックデイル
ステラ・マッカートニー
ジャン・バティスタ・ヴァリ
ジョー・ケイスリー・ヘイフォード
ジョナサンサンダース
ジョン・ガリアーノ
ジャイルズディーコン (ジャイルズ)
ソフィアココサラキ
ソフィア・マリア・プランテラ (サイラス)
ニール・バレット
パトリック・ライアン (ヤブヤム)
フィビー・フィロ
フセイン・チャラヤン
マシュー・ウィリアムソン
リカルドティッシ
ルエラ・バートリー (ルエラ)
ルッツ・ヒュエル (ルッツ)
20世紀のファッション業界をリードした、モードの帝王
- 2013-02-01 (金)
- ブランド紹介
フランスが誇る世界的なファッションブランドの一つ、「イヴ・サンローラン」。
ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、ポール・ポワレらとともに20世紀のファッション業界をリードし、「モードの帝王」と呼ばれています。
イヴ・サンローランは、1936年、アルジェリアのオランで生まれました。
17歳の時にパリオートクチュール組合経営の学校に入学し、3ヶ月のコースが修了する頃、国際羊毛事務局主催のデザインコンクールでカクテルドレスを発表し、ドレス部門最優秀賞を受賞。
この受賞がきっかけで、54年にクリスチャン・ディオールに迎えられ、クリスチャン・ディオールが死去した57年に、21歳の若さで後継デザイナーに就任。
クリスチャン・ディオール死後初となるコレクション、「トラペーズライン」でニーマン・マーカス賞を受賞します。
しかし、60年秋冬コレクションで発表した「ビートライン」はストリート感覚のスタイルをテーマにしたことで、エレガンスさがないと酷評を受けます。同年アルジェリア戦争に徴兵されたことを機に、ディオールを解雇されました。
62年、ブランド「イヴ・サンローラン」を設立。
バレンシアガを意識したニューモードが好評を呼び、60年代を代表する新しいスタイルを次々と発表していきます。
特に有名なのが、66年に発表された、男性用のタキシードを女性用にアレンジしたスモーキン・タキシードです。
85年、レジヨン・ドヌール勲章を、93年にデ・ドール賞を受賞します。
93年、サノフィ・ボーテ社に買収。
98年、ジーンズライン「サンローラン」を発表。
99年秋冬コレクションからレディースラインをアルベール・エルバスに任せ、サンローラン本人はオートクチュールにのみ専念するようになります。
99年、ピノー・プランタン・ルドゥート社のオーナー、フランソワ・ピノーがサノフィ社を買収し、レディース部門と香水部門が傘下のグッチ社に売却されますが、サンローラン本人と、オートクチュール部門は、ピノー・プランタン・ルドゥート傘下に残ります。
サンローラン本人は、2002年のパリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退。
これに伴ってオートクチュール部門は閉鎖し、レディースの「リヴ・ゴーシュ」のみの展開となります。
2007 年、イヴ・サンローランはその長年の功績を讃えられ、フランス大統領サルコジからレジオン・ドヌール勲章グラントフィシエを受賞。
翌年、サンローランが死去。
2012年、エディ・スリマンがイヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任します。
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